徒然事変

ワタナベアコのブログ

父が教えてくれた福田の真実

うちの父は人にあだ名をつけるスペックがある。本当にとことん絶妙なあだ名をつけるので私はその才能をスペック、と呼んでいる。


あれはもう5年以上前になると思うが、忘れられない「あだ名」がある。


その当時私は札幌に住んでおり、実家の両親と同居していた。田舎に娯楽というものは少なく、テレビを観ながらだらだらするというのが田舎の正しい過ごし方だ。


リビングのテレビではしゃべくり007がついていた。5年前と言えば「しゃべくりに出た人はみんな売れる」と言われていたくらい番組が流行ってて、お茶の間の月曜10時はしゃべくりだった。


しゃべくりメンバーといえば

ネプチューン(名倉、原田泰造、ホリケン)
くりーむしちゅー(上田、有田)
チュートリアル(徳井、福田)

である。間違いない。この7人である。



だが1名、毎回トークが放送されずに目立たないキャラクターがいる。




そう、福田だ。

 

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「なんで、この人いつも喋らないんだろうね?

つまらないからカットされているのかな?」


当時20歳以上23歳未満の生娘は、そんな残酷なことを簡単に言う。


ある月曜の10時、父と一緒にしゃべくりを観ていた私は父に「またこの人喋らないー!ねぇどうしてー!!」と言ったんだと思う。多分言ったんだと思う。(残酷。)


そして、父はおもむろにこう告げた。

 

 




「なんだぁこいつ、、、さつまあげみたいじゃないか!!」

 




さつまあげ!!!!!

 

 

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本当にこの人は、冴えてるとしか思えない。冴えまくってる。どこからどう見ても、もう「さつまあげ」にしか見えない。


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その後、徳井の情熱大陸(リゾット的思想)に触れ、
↓宜しければ、ご査収くださいませ

 

tacotoma.hatenablog.com

 



私の中ではチュートリアル

平子理沙の脇でリゾットが食べたい徳井」と「さつまあげという認識。

 

 

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それからというもの、福田が喋っていなくても全く問題を感じない。彼は彼の役割を果たしているのだ。その役割に皆が気がつけばいいのだ。


福田は給料泥棒ではない。・・・さつまあげなんだ。

 

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「しゃべくりセブン 福田」で検索すると

 

kyousoku.net

 

これが出てくる・・・こんなスレまで、できている・・・

 

 

 

違うんだよ!みんな違うんだよ!!

 

 

福田は、

なんだよ!

 

 

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何度も言わせんな!気づけ!このクソボケが!福田の魅力に気づけ!!



彼はどこからどう見ても「さつまあげ」なのだから、トークで目立とうとしなくてもいいじゃないか。存在しているだけでいいのだ。トークが売りじゃない芸人だっているんだよ!!このスットコドッコイ!!

 

 

↓こんなブログ作ってるやつ見つけたんだけど。

しゃべくりに福田はいらないのか

 

 

バーーーーーーカ!!!「福田をどう生かすか」とか言ってる時点で何も福田のことをわかってなんかいない!!!!!!!!!!

 

生かすとかじゃなくて!

 

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福田はさつまあげなんだよ!!

 


その視点でしゃべくり007をみると、チュートリアルに特別な感情が生まれて、たまらなくなる。いいですか?伝えましたからね。芸人はトーク力だけじゃないんだ。

 

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誰がさつま揚げやねん!!

 

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福田の情熱大陸。それはさつま揚げ。

 

 

こっちもセットで読みして初めてチュートリアルが完成となります。

ご査収下さいませ。

tacotoma.hatenablog.com

 



女性のおっぱい問題

通ってるジムのお風呂では色々な体をした女性がいる。見ていて思うのは「いい体してんなぁ」と思う女性の体というのは圧倒的に少ないこと。

 

何かしらが垂れて、何かしらが役割を終えているのを目の当たりにすると「〝体だけで〟人は今までの人生で何があったのかを語れるのだな」と色々な人の体を眺めながら入浴する。

 

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「入浴中は女性の体を俯瞰しながら物思いにふけっています。」

 

人はこれを変態と呼ぶのだろうか。言わないだけで女性は女性の体を見ているし、いやらしい体や締まった綺麗な体を見ると、自分も頑張ろうと思えるものだと思う。

 

 

 

体型には、人の性格がでる。

 

若い女性が細く締まった体を維持できるのは当たり前。それを推定30代以上の方がキープしているのを見ると、素直に「自分のことを女性として大切に扱ってるんですね」という印象を受ける。30代は自分を女性として扱うか、女性を捨てるかの分かれ目のように思える。

 

 

若いうちはお椀型のおっぱいでも、出産し、授乳を経験したおっぱいは垂れる。女性としてはおっぱいは垂れたくはないという気持ちがある。だが、出産という行為は女性としての機能を果たすという意味では最たることなので、そのおっぱいに女性としての経験値を感じる。

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つまり、おっぱいにもマウンティングがあるように思える。

造形美としては若いおっぱいがおっさん目線では勝るが、女性として出産を経験しているおっぱいがなんだか誇らしげに見える時がある。

 

支配人:「こちら人気ナンバー1おっぱい、お椀ちゃんです!」

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こんにちわ!お椀です!

 

支配人:「こちらは垂れてるけど、結婚して子供産んで、幸せなおっぱいです!」

 

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こんにちは!幸せなおっぱいです!

 

子供を産むことが女性として優れているわけではない。ましてや独身であることが不幸である訳がない。でもなんだ。何かおっぱいが語りかけてくるのだ。

 

 

 

揉んだことがないのでわからないのだが、「卒乳後のおっぱいは柔らかい」という情報もある。だから「子供がいて不倫している女性って柔らかめのおっぱいを提供し、殿方はそれを愛でているんですね。そうなんですね。」ということをなんとなく想像してみる。なんとなく失楽園を一通り想像してみる。ついこないだ斉藤由貴さんが報道されていたので、斉藤由貴さんが頭から離れなくなって非常に困った。

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「おっぱいは関係ないんだな。歳も関係ないんだな。恋愛は化学反応なんだな」と現実に還る。おっぱいはそのおっぱいが誰のおっぱいなのかが重要。関根勤の名言である。

 

 

 

最後にお伝えしたいことがある。高齢の女性の乳首の色はピンクで綺麗な色をしているのに対して、うら若き女性の乳首は褐色である

 

ジムの風呂、今まで温泉で遭遇した女性をトータル的に見てきた私の結論。推定65歳以上の乳首は大体可愛い色をしている。

 

AVでピンクの綺麗な乳首の女性がanan言ってるせいで、褐色の乳首が可哀想。AVというのは真実の包括だと思う。だがしかしこれもまたおっぱいはそのおっぱいが誰のおっぱいなのかが重要なのであって、大体の女性の乳首が褐色しているという真実を包み込む男性の包容力に敬意を称したい。

 

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おっぱいはそのおっぱいが誰のおっぱいなのかが重要

平子理沙の脇でリゾットが食べたい〜徳井 義実〜

チュートリアルの徳井があれは確かしゃべくり007だったか。テレビで言った事が私は忘れられない。その日からすっかり私の彼を見る目が変わってしまった。

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ゲストが平子理沙だった時、等身大パネルが出てきた。腕を挙げたポージングをしているパネルに対して彼は言った。

 

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「脇がいい!!」


脇がいい、、、じわじわくる、、なんだろう、、じわじわくる、、

脇!脇がいいんだ。「ワキ」が視覚的に性感帯に脳感帯にこの人には染みるんだ。そうなんだ、脇が良いんだッッッッッ!!!!!!じわじわぢんぢんしているままの無防備な私に徳井は言った。



「もう、その脇でリゾットが食べたい。」

 

この言葉を脳裏に置いておきながら、チーズの上にリゾットがのっている写真を見て欲しい。

 

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これは私が徳井を異端視するようになった決定的なエピソードとなった。

 

 



「その脇でリゾットが食べたい。」



そのセリフに似た台詞に覚えはないだろうか?

そう。「君の膵臓をたべたい」である。

 

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君の膵臓を食べたい、がそのタイトルに反して感動大作であるのに対して「その脇でリゾットが食べたい」は全くもってただの変態的発言であると言い切れる。



彼の表現力の豊かさ。彼の直球さ。変態さ。全てトータル的に、私は堕ちてしまった。人を見る目が変わるという経験をした人なら分かると思うが、その日からもう徳井を見る度に「この男は平子理沙の脇でリゾットが食べたいのか。」とゾクゾクする。

 

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そして徳井がセカオザことスピードワゴンの小沢と一緒に住んでいると知った時もゾクゾクした。

 

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この人には何かある。何かある。

人間の狂気とは神秘的だ。

 

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徳井 義実の情熱大陸

平子理沙の脇でリゾットが食べたい」

タルムードを持たない日本人

趣味で宗教の勉強をするのが私は好きだ。

My hobby is to study religion✩

 

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何となく宗教の話になると日本に置いては重っ苦しくなるので、爽やかさを求めて英語にしてみたが、特に意味はない。そしてちっとも爽やかになっていない。

 

小言は置いておいて、私が宗教を勉強していて興味深いことの一つはユダヤ人の信仰するユダヤ教である。ユダヤ教というのは別名:タルムードと呼ばれ、親から子へ知識が受け継がれてきた言わば、「民族宗教」である。

 

 

 

ユダヤ人のことを少しでもかじったことがある人なら既にご存知かと思うが、ユダヤ人というのは迫害され続けた民族である。

 

元はと言えばキリスト教ユダヤ教がベースで作られており、ユダヤ教からカトリックプロテスタントイスラムヒンドゥーと派生した。つまりこれらの宗教は旧約聖書という同じ経典を信仰する宗教。

 

ユダヤ教の誕生から1500年遅れてキリストが誕生し、さらに500年経ってイスラム教が誕生した。実際にはユダヤ教は2000年以上の歴史があるが、権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で発展したのがユダヤ教なのである。

 

ユダヤ人が何処に行っても大体迫害される。。諸説あるがこれは彼らが権利収入を持たない労働収入で生活をする人たちから「妬まれる」からだと私は推測している。

 

「権利収入」と「労働収入」という2つの稼ぎ方があるが、ユダヤ人は権利収入で生活費をまかない、労働収入で得たお金は好きなことに使う。例えば旅が好きであれば旅をする。経済的に自由であるように先祖代々タルムードを教えられるのだ。

 

そうやって悠々自適な生活をしている民族がもし日本にいたら、、妬ましくないだろうか?「ここは日本だぞ?みんなと同じように足並み揃えて働け」と言いたくならないだろうか。「日本人じゃないやん!!何なの!!出て行ってよ!!」とならないだろうか。いや、絶対なる。他の国だって同じだろう。特にこの国は1民族1言語。よそ者に対してウブでシャイだ。

 

面白いのが(面白いというのは大変失礼なんだけど)ユダヤ人は国に所属するという概念がないこと。国から迫害され続け、国が守ってくれなくても繁栄し生きながらえようとしてきたのだから当然のこと。

 

要するにですね、国家も持たないユダヤ人が繁栄を続けてこれたのは「タルムード」をいう宗教的戒律を保ってきたことが大きいのです。

 

 

で、本題に入ります。(前説ながっ)

 

日本人やばい。。

ここでの「ヤバイ」とは、いい意味のやばいではなくて、悪い意味でのヤヴァイになります。

 

 

宗教を奪われた日本人

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何から説明しようかと思うのだけどまず、日本は無宗教と言われていますがあれは違うんです。今でこそ、天皇は国家の象徴とされていますが、本当は「神道」です。天皇は、明治以前から、神社神道最高神官。日本は神道という信仰をずっとしてきました。

 

教科書通り「天皇は国家の象徴」を信じて、今まで宗教について調べてこなかった人はきっと知らない人もいるかと思います。要するに天皇を神として崇めていたのです。それが戦争でアメリカに負けた時に「天皇は神ではありません!!」と正式に宣言しました。これが人間宣言 - Wikipediaってやつです。

天皇万歳!!」と日本人が言うのはその名残ですね。

 

アメリカ怖かったと思うのよ。。日本人の国のためなら命を捨てる精神力。

だからこそ、GHQは日本人の精神的強さ、復讐戦を恐れ、神道を衰退させ、日本人の大和魂を骨抜きにするという方法をとったよね。何故こんなことをしたかといえば、アメリカが日本人の精神的強さが「国家神道」にあると見たからです。神道に加えて、皇室の伝統、そして歴史教育を全面否定。

 

 

 

だから我々日本人って宙ぶらりんなんです。

 

タルムード的なものが何もない。信じるものが何もない。

それが今の日本だと思うんです。

 

 

 

1民族1言語で、明らかに英語とか外来語と言うものが喋れない教育になってるし、日本の教育というもの自体も「何故、学ぶのか。」ということが欠落しています。

 

ユダヤ人は迫害の歴史があったので、物やお金は常に奪われる恐れがありました。だからこそ教育にお金も時間もかけます。知識というものは奪えないからです。そして彼らのタルムードは2000年以上の歴史がありながら完成されていなく、余白があります。これはユダヤ人が学びつづけるという意思表示でもあり、今も尚発展しています。

 

 

要するに日本人は軸がないのです。

「何か信じたい」のに「信じられるものがわからない」とも言える。

 

 

・なんとなく学校に行って

・なんとなく社会に出て

・なんとなくお金がもっとある生活ができたらなぁと過ごし

 

なんとなく、なんとなくで生きている民族。

命名。現在の日本人は「何となく民族。」(小声。)

 

 

戦後の高度経済期成長を支えた団塊の世代の方は、「無いものをまた作る」ということにエネルギーを注ぐことができましたが、現代の日本人ってその必要がなくて「なんとなくでも生きていける。でも生きてる感じはしない。」

 

何にエネルギーを注いで生きて行けば良いのかわからない。

それが顕著に全てにおいて現れてると言えると思うのです。

 

 

 

で、私からご提案。

 

タルムードを良いように取り入れるのはいかが?( ´ ▽ ` )

 

 

 

戦後、国家など無いのに

「国家」じゃ無いと生きられない日本人

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何故、日本人が1民族1言語かと考えてみたことはありますか?

日本人は流浪しませんし、島国ですから他の言葉を使う必要が無いというのもそうなんですが、ある意味日本の国土に日本人って封印されているんですよね。

 

ちょっと難しい話になりますが、本当は日本も国家なんて無いのです。戦後の日本はアメリカの属国。一応表面上は国家ですけど、アメリカによって思想をコントロールされており、宗教という軸もなく、教育も「何のために学ぶのか」という一番重要な部分が教育されません。

 

日本人が新興宗教や心理学、スピリチュアルなものに嫌悪感を抱きながらも興味や関心があるのは「自分が信じられることを見つけたい」という現れでもあります。枯渇しているんですね。信じるということに。タルムードのような戒律や答えが本当は欲しいのです。

 

今後、「信じる」という側面にも触れていきたいと思います。が、最初に言っておきます。なんかの宗教に勧誘したい訳ではありませんwww

 

「軸を持って生きる。」そうすれば人から無駄にエネルギーを奪われたり搾取されたりすることって減りますよね。日本人的に言うと「処世術について考えていきましょう」ってことです。はい。

 

 

 

怪しいブログに貴重なエネルギーを使って読んでくださり、ありがとうございました( ´ ▽ ` )

 

 

普通の女になりたくないという女に遭遇すると戦慄を覚える

昔あれは11歳の時、体育の授業で担任の半田先生が言った。「普通って何?」何を持ってして彼にこんな事を言わせてしまったのかは覚えていないのだが、私は何か質問されて「普通。」と答えてしまったらしい。「普通って何?」と問われたので私は「。。標準?」と答える羽目になった。



半田先生は槇原敬之に似ていた。槇原敬之の顔ばかり思い浮かんで、何故半田先生に「普通って何?」と言わせてしまったのかが分からない。この事を思い出すたびに、「♫〜冬がはっじまるよ。」と槇原敬之が歌い出す。思い出せない事が大変残念なことのように思う。毎回冬が始まる。そして「♫〜どんな時も。」が脳内リフレインされ、ほっこりしながら事態を収拾させる。

 

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普通って何なのか考えると「普通なんてものは存在しないんだから、普通という概念に合わせる必要もないし、合わせることもできない。」という私の中のニーチェ的な存在が顔を覗かせる。


普通なんてものはない。でも確かに「普通」という感覚は各々の中にあるものだと思う。


それなのに「普通の女で終わりたくない」とか「普通が嫌だ。」という女性は何を目指しているのだろう。普通が嫌なら逆に「普通にならなきゃ!」と思えばいい。そうしたら、今の自分は普通ではなくなる。(屁理屈。)だからどんどん「普通にならなきゃ!私は普通じゃないから!」と思えばいいと思う。(戦慄が走る。)


「普通」という言葉から連想されるのは、一般的だったり平均的というニュアンスの言葉だ。つまり、普通の女が嫌だというのは「その他大勢の凡人には私はなりたくない!」という宣誓のように感じられる。


【普通の女にならない】というコンセプトで生きたら一体どういう女になるのだろう?


「普通の女」というものにどういう概念を持っているのかによって異なると思うが、「自分が普通だと思う事はしない」というのが普通じゃない女を志す者のルールになってくるのではないか。


普通だと思う事はしない、というのはどういう事なのか。。ここまでくるともう想像がつかない。具体的に著名人の名前を挙げて普通じゃない人を教えてほしい。


・どういう生き方で何をしたら普通なんだ?
・普通がつまらないから普通はいけないのか?
・普通は面白くないのか?
・要するに目立ちたいのか?
ウィキペディアに名前を連ねたいのか?



例えば、かの有名なアインシュタインは恐らく推測で物を申し上げてご本人には申し訳ないが普通だとは思われていなかったと思う。だけど少なくても「普通が嫌だ。」とか「普通の男で終わりたくない。」というコンセプトで生きてはいないように思う。

 

あと大体普通じゃない女はモテない。絶対モテない。男は普通な性格で普通よりも可愛くておっぱいが大きい子が好きなのだ。だから普通でありながら、なんか目立ちたいという意味で「普通の女になりたくない」という女に遭遇するとその都合のよさに戦慄を覚える。

 

 

「普通ってなに?」

と疑問を持つ度に半田先生が出てくる。

 

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普通って何?






でもこういう事を言うと、普通だという事にコンプレックスを抱いている女性に取り締まりを受ける事になり兼ねない。「何よ!この変なブログ書いてるやつ!普通こんな事書かないよね!この人おかしいよね!」と嫌われるに違いない。


あと「普通な人なんかいないよ。みんなおかしい。だから大丈夫あなたも普通じゃないよ。」と、思っても言わないよ、絶対。

 

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そんな事絶対言ってはいけない。「普通の女で終わりたくない」と誰が思っているか分からない以上この件についてはあやふやにして生きていく。

西野カナはいつ会えるのか

西野カナは若者から絶大なる人気を博す一方で、必ずと言っていいほど言われ続けている歌詞がある」と言われたら、西野カナを知っている人はあの歌詞を思い出してしまう。

 

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会いたくて会いたくて震えているにも関わらず「会いたくて会いたくて震える(笑)」と笑われてしまう。これが西野カナの歌詞の世界だ。

 

歌詞というものは会いたくて会いたくて震えるような恋心を「会いたくて会いたくて震える」と表現せずにどう表すかというところにその人のセンスが問われるのだが、彼女はストレートにその思いを表現している。その表現はTwitterのようだ。

 

しかしそのTwitter的なストレートな表現だからこそ若者に響いている。

 

BestFriendという歌で西野カナはこんなことを言っている。

ありがとう
君がいてくれて本当よかったよ
どんな時だっていつも
笑っていられる
例えば、離れていても 何年経っても
ずっと変わらないでしょ
私たちBest Friend
好きだよ、大好きだよ

 

作詞家たちは

ありがとう
君がいてくれて本当よかったよ
どんな時だっていつも
笑っていられる
例えば、離れていても 何年経っても
ずっと変わらないでしょ
私たちBest Friend
好きだよ、大好きだよ

をいかに比喩し、どう表現しようか頭を悩ませているというのに、西野カナはそのまま歌詞にした。これは作詞界ではおそらく反則なのではないだろうか。

 

しかしそのTwitter的なストレートな表現だからこそ若者に響いている。西野カナのターゲットユーザーは若者。だからこそ若者に伝わる表現をする西野カナを誰が攻めることができる?いやできないはずだ。

 

 

 

そうこう西野カナについて思想を張り巡らせていたところ、こんな記事に出会う。

 

ent.smt.docomo.ne.jp

 

この曲は、実は言葉を選んで多くの意図が込めてある歌詞。しかし、さらっと聴いたかぎりでは、なんとなく言葉を選んだように見える、ごく自然な歌詞に聴こえます。これが西野カナのすごさなんですね。

 

そうなのか。歌詞がむき出しなのではなく、意図的に多くの意味が込められているのか。こんなにも拾い所があるのに私は何故気がつけなかったのか。

 

 

 

 

もっと西野カナの魅力を知りたい!分かりたい!私も共感したい!と思い捜索を続ける。「西野カナ 魅力」で検索。するとグーグル先生はネイバーまとめを提示した。

 

matome.naver.jp

 

なんと、会いたくて震える西野カナがまた会えないと話題になったらしい。

 

 

 

 

私はだんだん、西野カナはいつ会えるのかが気になってきた。

西野カナ いつ会える」で検索。

 

 

 

 

 

 

 

mdpr.jp

 

 

 

 

 

 

 

西野カナ会えたwwwwww

 

 

タモリから「圧倒的に会えてない」との指摘

西野は8月に放送されたフジテレビ系「笑っていいとも!」テレフォンショッキングに出演した際、自ら作詞を手がける楽曲についてタモリと議論を繰り広げた。タモリは“(好きな人に)会えない”というフレーズが多く登場する歌詞に対して「今の時代、会おうと思えばいくらでも会えるのに、『会えない、会えない』と言い続けてる」とツッコミを入れ、「西野カナは会えないことに憧れてる」と分析。さらに西野がこれまでリリースしたシングル21曲のうち、失恋ソングは9曲で、うち6曲の歌詞が“会えない”という調査結果を提示し、「これおかしいんじゃないですか?圧倒的に会えてない」と主張した。

初めは「憧れてるわけじゃない」と否定していた西野だったが、データを目の当たりにすると「びっくり。自覚してなかった(笑)」と驚き、思わず照れ笑い。「地元の友達にも最近ネタにされるようになりました。『会いたくて震える』とか、ハートマークつけて(メールで)送られたりします」とも明かしていた。

 

私の大好きなタモリさんも「今の時代会おうと思えばいくらでも会えるのに、会えないと言い続けている」とツッコミを入れている。

 

とりあえず西野カナは2013年に「会えた」ようです。なので「西野カナちゃんはいつ会えるんだろうね?」と友達に言われたら「西野カナちゃんは2013年に会えてるよ。」がベストアンサーになります。

タモリ論

私は今興奮と感動と、言われの無い底無しの刹那の坩堝にいます。

樋口毅宏 タモリ論 読破。

 

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話題になっていた時は「タモリを語るなんて!」とタモリへの想いの分だけ反感が強く読むことを否定しました。しかしながら、タモリがいいとも終了を世間に発表したことを「玉音放送」と言った彼の言葉に深い深い共感を感じました。何よりタモリ本人が氏の書を拝したと知り、居てもたっても居られず、新宿アルタのすぐそばの紀伊国屋に駆け寄った次第です。

 

椎名林檎氏のスーパースターがイチロー選手であるように誰しにもスーパースターがいるとしたら、私のスーパースターはタモリです。改編になってからタモリの出演時間が減り、視聴率がどうのこうの言うYahooニュースに「タモリが出ないんだから当たり前じゃん!」といいともが評価されることはタモリが評価されることと同じ。でもタモリは出てない。なのにいいとも!の視聴率が下がる=タモリの株が下がってきた、的な捉え方の記事にウンザリし、そんな記事を見る度ヒルナンデス!の回し者ですか?なんなんですか?そんなこと言う貴方はいいとも!無くして生きていけるのですか?と疑問を呈してきました。

 

「最近タモリがいいとも!にでないよねぇ」だった期間は我々にお昼の象徴が居なくなる心の準備期間だったのだと思います。
その心の準備期間中私はお昼の重鎮が登場して心臓が縮むような感覚(タモリがオープニング曲の後に登場する瞬間毎回心臓がバクバクして緊張します。神聖な存在が降臨する感じ。。神、降臨!と心で掛け声さえかけています。今はもう観ることはないですが、あのチャッ、チャッチャッチャッ!の拍手を神への喝采と崇め、神降臨!キタwwwと超絶大興奮していました。)を感じ、脈拍が元に戻った頃、「タモリさんが出てないいいとも!なんてみたくない」とテレビを消したりしてました。

 

まさに、タモリ依存からの脱却の為のリハビリテーション
我々は確実に知らず知らずのうちにタモリによってタモリ離れを推進させられていたのです。

 

平日のお昼、CXch8ボタンひとつで見慣れたいつもの空気感にタイムスリップ。
「お昼休みはウキウキウォッチング!あっちこっち、そっちこっちそっちこっち、いいとも!〜♫」
そんな心の拠り所をお昼の儀式をイキナリ奪われたりしたら、私は太陽が疎ましく72日はお昼をお葬式のように過ごすと思う。

 

出来れば樋口氏の本をお手にとって購入して樋口氏が儲かって欲しいので、氏の言葉の引用はしませんが、彼同様私もタモリがいいとも!から解放されることを心の何処かで、ほっとしています。

 

私の中ではタモリは神ですが、タモリは神ではありません。
人なのです。

 

今とても大切なことと事実を書きましたが。タモリも人間なのです。

お昼の拘束から離れ、奥様と旅行にいったり、大好きな電車に乗って「10時にアルタ入り」という習慣とお昼の象徴というポジションとポテンシャルを脱ぎ去り心の赴くまま自由になって欲しいと心から願ってます。


※私はタモリが「10時にアルタ入り」することを知ってからどんなに寝不足だろうと10時には絶対起きなくてはいけないと思って生きてきました。「タモリさんはもうアルタ入りしてるのに、私はこんなところで何をしているんだ!起きろ、私!」(走れ、メロス調に是非読みましょう)と叱咤激励をします。


毎朝10時は神聖なる時を迎えるカウントダウンの始まりなのです。

タモリのことになると話が尽きないというか、物事全てをタモリ色にしてしまうspecを発揮してしまうので、書き足りなくまだまだタモリ愛を綴りたい所ですがこれ位にしておきます。

 

ここまで読んでくれた貴方!
きっとイイヤツ☆!

 

2013年の11月1日の今日そんなことを思っていたようです。