Unplugged

〜ワタナベアコのコラム的ブログ〜

不労所得とか権利収入とか

ネットワーク系のビジネスをしている人は「権利収入」とか「不労所得」とか、お金お金騒いでる。というかお金に踊らされている。

でも、そのシステムを作った人は多分、お金を作ってる。

 

SNSでそういう発信をしている人は多いし、実際生活が安泰な人は労働収入ではなくで不労所得を得ていると思う。

 

でもなんだろうねー。SNSスマホでなんちゃらって言ってる人は大体マルチかアフリエイトだろうし、アップしてる画像も釣り広告で「お金も時間もあるって最高!」って広告ビジネスだよね。

インスタで「この人たちどうしてインスタグラマーになりませんか?」って言ってくるんだろう?と考えた時、「そっか!マルチで信者ビジネスなんだ!」て気がついた。だから勧誘しないと自分のお金が増えないんだろうね〜。

 

華やかな暮らしをアップしても、それに他人は関心ない。

関心があるのは「ファン」だけ。

 

ファンって応援してくれる人のことでファンがいないと

不労所得とか権利収入とか難しいよね。

リピーターって必須だと思うの。

 

例えば安室ちゃんのファンの人は、彼女の歌に元気をもらい生き方に励まされ、感謝や尊敬する心があるからファンなわけで、ツアーグッズもあり得ないくらい売れていたけど、安室ちゃんの経済効果、マジ半端ないって思った。

Tシャツとタオルなんかマストで、トートバッグやら、ワッペンやら、バンバン売れる。私は安室ちゃんのツアーが売れまくって生産が追いつかない状況を見て、「これが不労所得か!これが権利収入か!」って思った。

 

 

不労所得についてちょっと調べて見たんだけども

・ネットでお小遣い系

アフィリエイト(仲介手数料)

・ネットビジネス

・システム利用料

・コピーライティング

・成果報酬型のコンサルティング

・本出版・翻訳・代筆

ネットワークビジネス

役員報酬

・不動産所得

・株式・FX

 って感じらしい。

 

 

 

コピーライティングといえば、糸井さんが連想されるけどあの域までいかないと、コピーライティングは厳しいってことですか?うん。結構無理じゃないですか?

代筆ってことはゴーストライターよね。ゴーストライターも確かに知名度のある人の本を担当できれば印税がもらえるよね。自分の名前で売れたいという承認欲求がないゴーストライターさんは勝ち組ではないか?

 

 

不動産に安易に手を出す人は多いけど、不動産に関しては、その不動産を不労所得で維持運営できる資金力がないと手を出しちゃいけない部類だと思う。

 

それが分かってない人がワンルームマンションとかに手を出すけど、実際のところ潤いはしないだろう。でもやってる人はそれが不労所得だと信じているんだろうなぁ。家賃収入は入るけど、今後どんどん空き家が増えていくと言われているからそれに対して対策ができないとただの借金になる。

 

 

  

っていうか、このはてなブログもネットビジネスよね。

このMTつーの?誰でも新規作成でアカウント作れて更新できて、広告収入がどんどん入ってくるブログサイトを量産してるんだもんね。

2チャンネル、Facebook、インスタ、ツイッター、Base。

 

そういう「仕組み」を作った人は賢いなぁって素直に尊敬する。

 

私もアメブロじゃなくて、はてながあってよかったです。アメブロは畑違いで死にそうになりましたが、多くのブロガーを育ってて「ブロガー」ってジャンルの職業を作ったのはアメブロだと思うからそこは素直に尊敬する。(なんで上から目線なんだろう。)

 

 

 

因みに仮想通貨は収入と難易度がマックスで高いらしい。

でもそれを2017年は買うのがすごい流行った。「え?あなたも持ってるの?」って人まで持ってる現象が多発した。

現金を仮想通貨にするんじゃなくて、法定通貨じゃないポイントとかを仮想通貨にしてる人は賢いと思うけど、そこれらへんどうなんでしょ。

 

仮想通貨に対して思うのは、2万円で買ったものが200万になったりするけど、それを一発当てただけじゃダメなのよね。ラッキーで当たったんじゃなくて、稼ぎ続けられる人が本当のお金持ちだから。そういう意味で運用するにはラッキーだけじゃダメ。

 

法定通貨法定通貨で仮想通貨は変動するポイントみたいなものだろうと素人目線では思ってる。楽天ポイントのグローバルで変動するポイント。

なんでコインで表現使うのかな?ポイントみたいなもののように素人には思えますです。

銀行がなくなると言われてるこの時代の過渡期に紙幣という概念に引っ張られるのも時代遅れなので、適応していかないとならないですね、現代っ子てまじ大変だな。

 

 

そもそも、銀行っていうのも権利収入なんだよね。

銀行っていうだけで資本金の10倍だか20倍を銀行は借りられるらしいし。詳細はggrkas。それで手数料がどーしたとかさー。システム利用料金。THE権利収入の極みと旨味。はてなブログも無料でも使えるけどProは毎月千円で権利収入。そう考えると結構権利収入って多いね。)

仮想通貨を管理するブロックチェーンが実装化したら、それが銀行の代わりになるんだろうなぁ。なのに、いまだに優秀な六大学の学生さんに人気の就職先がメガバンクなのは保守的だからなのだろう。

 

 

でもそれは

みんなと同じ時に受験して

みんなと同じ時に進学して

みんなと同じ時に就職して

みんなと同じようにやってきた人に、みんなと違うことは多分できない。

 

だから「メガバンクにとりあえず行けば大丈夫でしょ」ってなっちゃうのもやむを得ない気がする。

15年前くらい前はその考え方で平気だったんだけど、これからはそうはいかないということなのだろう。

 

 

この記事を5年後くらいにまた見てみて、その時時代がどう変わってるのかまた書きたいなー。2020年以降。人類は何処に向かっているんだろうね。

 

 

FB NAVERまとめ 〜FBとは何だったのか〜

2018年というあと1年半でオリンピックイヤーですよ、って時に私はFBから離脱した。

 

ただ、ただ、一言。

フェイスブックは、きつい。

 

監視社会なの?あれは何故どうしてあんなにもメンヘラっている世界観なの??

 

事の経緯を説明すると、鍵つけて知り合いとの生存確認で使っていたが、使う人がどんどん減っていき幽霊アカウント続出。

つまらなくなったので2017年に公開アカウントにして「FBってなんだ?」ということを謎の女として1年ちょい追求したりしてみた。

 

実に無駄な労力だったけど、学ぶことが多く、あぁ、人はSNSで繋がれば繋がるほどアホになるのかもしれないと思った。発信はするに越した事はないけれど、フェイスブックでやらなくていい。というのが私の結論。

 

 

承認欲求も「人の役に立つ、人のエネルギーを奪わないものなら良し」とされている風潮があるけど、それでもFBの世界は鬼束ちひろの月光的世界観が漂っていた。

この腐敗した世界に堕とされてしまった的な。

いやいやいやいやいやいやいやいや、自分から堕ちました!なので自分で堕ちたので自分で去ります、的な。

というわけで私は月光より日光浴びたい西川貴教(YO! SAY夏が 胸を刺激する ナマ足 魅惑の マーメイド)的な気持ちで、鬼束ちひろの月光的世界観から撤退したのである。(分かりにくいね。)

 

 

 

 

あと、FB友達はFB友達に関心はあっても、仕事に関心はないんじゃないでしょうか。

日常近況報告を、毎っっっ回仕事に絡められると「それが面白いならOK」だけど、大体は「強すぎる承認欲求」なので見ていて負担になってくる。

 

 

面白い or   必要な情報 = エネルギーを奪われない投稿。

となるが、FBでそれをしている人は稀。(小声)

 

 

エネルギーを奪わない投稿ができる人は活動をTwitterでした方がいいし、実際のところ情報発信や共感できる内容の質で言ったら断トツでTwitterユーザーが優れている。

付き合いでリアクションする必要がなく、自分の欲しい情報だけ取捨選択ができる。

 

 

あと、これは全然私が勝手に思っていたことなのだけど、「それインスタでやれば?」「それTwitterで。。」と思う投稿があったりする。

 

具体的に言うと

・空の写真とか

・友達と遊んだことを逐一アップしてくるとか

・日々の食べ物系

・高級食べ物・物

Twitter的頻度の多い呟き、とか、、

 

 

一日に何度も近況報告するならタイムラインが流れて行くインスタやTwitterでいいんじゃないだろうか。そのほうが読み手のエネルギーを奪わなくて済む。興味がある人はユーザーが他のSNSを探してフォローするので、FBを頑張らなくてもいい。

 

 

「自分が楽しんでやってるんだからいいじゃん。リアクションしなくてもいいし。」って人もいると思うけど、FBって公的場なのだと痛感した。マイワールドが過ぎる発信や日常の日記的アウトプットはTwitterとインスタに分散した方がFB友達の負担は少ない。

 

 

よく困ってる人を助けたい系の仕事をしてる人や、仕事で集客に繋げたくて頑張っている人がいるけど、困ってる人を助けたいんじゃなくて『困っているのは、あなた!!』と和田アキ子ばりにその鐘をならしたくなる。

 

 FBで影響力を持とうだなんてアホの極み。そこから仕事に繋げようとか考えない方がいい。とにかく実生活で交友関係を広げて地盤をしっかりと固めるのが一番。

 

 

 

 

確かにFBは疎遠になった人と交友するきっかけになったり、使い方によっては使えるツールだと思う。だけど、多くの場合、「過去の人間関係の保存の場」だったり、しがらみが多く自由に発言できない場になっているように感じた。

これぞ、鬼束ちひろの月光的世界観。この腐敗した世界に堕とされてしまった的な。It's a small world 的な。

 

 

人間関係は絶えず変化して行くものだ。

にも関わらず、人間関係に足を引っ張られる必要はないと思う。

10代には10代の繋がりで最適な人、20代には20代の繋がりで最適な人、30代には30代の繋がりで最適な人というのがいる。

世代や時代を関係なく付き合える友達ならLINEで日頃からやり取りをする。

だから、リアルな人とはグループラインでやり取りをすればいいし、他の人に投稿を開示する必要はない。そして認められる必要もない。

 

 

LINEを交換するまでではないけど、繋がりは持っておきたい時にFBは便利だと思うが、大体一年もしたら「この人誰だっけ?」という状態になるのが目に見える。

 

本当に繋がりたいと思ったら、ネットの力を使わなくても友達の友達の友達で大体繋がれるだろうし、交友しないのに繋がったことで「疎遠なのに今更、、」と繋がったことを後悔するかもしれない。交友関係が広くてもそれを活用できないなら意味がない。

 

 

 

 

FBという仮想空間から退いて2週間ほど経ったが、びっくりするほどストレスがない。エネルギーが搾取されず、自分の自己実現だけに時間を使っているからだと思う。

個人的には必要以上に繋がりは増やさなくてもいいし、いつでもフォローできていつでもフォローを外せるSNSは気楽だ。

 

 

そして正直他人の私生活に皆、そこまで関心はない。

関心事は他人でなくて、自分。

大体は自己正当化。

そのことを多くの人が認められたらSNSも実生活も楽になるのかもしれない。

 

 

 

 

というわけで、ワタナベFBの沼編は完全フィナーレを迎えられました。

幾度もファイナルだFinallyだ、と閉店詐欺をして来ましたが、もう私の垢はありません。ブログを今見返してみたけど、FBがどれだけ負担だったか垣間見ることができて甘酸っぱい。

自分に合わないことを一年ちょい頑張っているのが、ヒシヒシと伝わって来て、本当にお線香上げたくなるくらい沼ってる。湿地帯からこんにちわである。

 

 

そもそもリアルでも連絡先を知らないで必要な人と必要な時だけ会えればいい、他人に興味のないような人間が何を血迷ったのだろう。

こんな代物をFBにシェアして来たのだから、私の中の承認欲求が「もう辞めて!シェアしないで!!」って叫びたくなるのは当然だ。

 

 

過去の私へ。沼、終わったよ!

今はネットの海でひとり浮き輪つけて浮かんでいるよ!

なんとなく、バンプの天体観測的な青春感を感じる。

 

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ

暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ

そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている

「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている

 

Oh,イエーーーい、アハーン。

厨二すぎて辛すぎて泣きたい。

 

 

カテゴリー「沼活」に関しては、アルバムかな?ってくらい湿った青春感溢れる作品になっておりますね。骨身を削るっていうか本当に排泄物すぎてモザイク処理したくなるくらいのうんこっぷり。

 

とりあえず、自分の思ってること・やってること・言ってることがやっと合致したので日々快適。快便です。沼から出ると現実でやるべきこと山盛りで沼って現実逃避だったことをづくづく感じる。

SNS辞めたいのに沼ってる人は、自分の思ってること・やってること・言ってることが一致しないと辛いよね。わかるよ。と共感すると同時にお線香上げたい。

お焚き上げ、ご供養。南無。

 

 

沼活、南無!成仏! 

  

 

栗城さん。

栗城さん。

 

栗城さんとは同郷で
『彼、栗城くん。山登ってるんだ。』
と知人に紹介して頂いたことがありました。

 

その時私は20歳で栗城さんが登山家だということも知らなかった。「イケメンの登山家っているんだ〜」とミーハー心から恋でも始まりそうな。実際には何も始まらなかったし、お会いしたのもそれっきりだったけど『栗城 史多』って登山家がいる。って事はその時インプットされた。

 

その後は、たまに活動を拝見していた。

 

栗城さんの挑戦している姿を見る度に、安心した。『いい意味で変わらない栗城さん。』を見る度に。

 

一度会って話をしただけなんだけど、私の中に栗城さん残ってるんだよね。


訃報を知った時、『下山はいつも成功してたのに。下山ができたら登頂なんかできなくても、よかったのに。』って正直思った。

生きていて欲しくて。

 

同時に下山し続ける事ができるって奇跡みたいなことだったんだなって。

何度もその奇跡を叶えてきたじゃん、、って。思った。

 

エベレスト登頂できなくても、栗城さんだからこそ、なし得たことがあったんだよ。

 

 

栗城さんのことを登山家として無謀とか三流とか叩く人がいる。
でもそう言う人は命を賭けて挑戦できる何かはあるのだろうか。

もし自分が挑戦中であることを自覚するなら、、人の生き方に干渉できないんじゃないかな。


プレイヤーを叩くのは、
プレイヤーじゃない傍観者だから。

 

 

私は彼が無謀だクレイジーだと叩くのではなく『彼はクレイジーだけど、だから栗城 史多だったよね』と彼を偲べる人と悲しみを分かち合いたいと思う。

 

酸素ボンベ持ってかないで
エベレスト行っちゃう栗城さんは確かにクレイジーだし、毎回難しいコースを選んじゃう栗城さんクレイジーだよ。


9本指無くて単独登山で一番厳しいコースってなんだよ、、本当クレイジーだよ。


でも、『誰もなし得なかったことをする』のが彼の美徳でスタイルだった。栗城さんは栗城さんの人生を全うしたのだと思う。

 

夢物語ではなく、体験談を語る栗城さんに励まされた方は多かったのではないでしょうか。

 

20歳の時デザイナーを夢見てた私も、その内の一人です。
夢の傍観者ではなく、夢の道中を行く人で在りたいと思えました。


私の中に栗城さんが残っているように、きっと多くの人の記憶に残り続ける。

 


栗城さん、ありがとう。

 

 
私も私の命を全うしよう。

誰と比べるわけでもなく、

私の命を全うしよう。


そう思わせてくれる栗城さん、ありがとう。

 

 

誰もなし得なかったことをして

今エベレストより高いところにいる栗城さんへ。

 

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孤独という蜜

私は元来孤独な人間だ。

 

人は孤独に対して、どういうイメージがあるだろう。

どちらかというと淋しくて可哀想なイメージが世間ではあるのではないだろうか。

 

私は、自分の意のまま、思いのままに過ごせる孤独な時間を愛している。

 

 

現代人はいかに効率よく時間を過ごすのかが大切。

時間を無題にするなんて許されないのだろう。

 

カフェでスマホを見ないで、時間が過ぎていくのを楽しむってことを、多分現代っ子は忘れているので、そんな光景をみながら微睡んだりしている。

 

そんな私の日常は孤独に溢れている。

人混みの中で皆、目的地を持って歩いてることに感嘆としたり、花屋さんの寄って花の匂いを嗅いで、自宅用に花を買ったり。

一人都内の公園を散歩したり、美術館で作品を眺めながら泣きそうになったり、一人で映画を観てニヤニヤしながら帰ったり、二人暮らしの部屋で一人を感じたり。

知らない町で知らない道を一人で歩いてる時なんて、ワクワクドキドキだし

一人で外食して、座ったらすぐメニューを決めてオーダーし、出来上がるまで本を読みながら待ったりしている時なんて、無上の喜びで至福の時だと思っている。

 

 

ジムもジム友達なんて作ろうと思わない。

「次は何曜日にくるの?」なんて会話を更衣室で聞いたことがあるが、そうなったらジム友達を気にしながらジムに通わなければならない。

それってなんて苦痛なんだろう。

 

 

私のジムでの過ごし方は、脳内を空っぽにしながらトレーニングしたりプールの中を歩いたり、爆音で好きな音楽を聴きながらウオーキングしたり、ヨガの時間が合えばヨガに参加して、温泉に浸かって、体調がよければサウナも入って、お気に入りのボディークリームを塗って、パックしながらドライヤーをする。

ジムのスタッフにだけ「こんにちわ」と「さようなら」が言えればいい。

家までの帰り道一人で夜風に吹かれている時、最高に幸せを感じる。

 

 

本当に孤独な時間を過ごす時、そこに淋しさは存在しない。

ただ、ただ、崇高で澄んでいて、満ち足りていて、優しく穏やかな気持ちになる。

誰の力も借りず自立している清々しさ。

それって最高に幸せじゃないですか?

 

 

ショッピングはいつも一人。

むしろ、一人じゃないと買い物ができない。

自分の買い物に相手を付き合わせるということができないし、そんなの気を遣って仕方がない。「そんなの相手は気にしてないですよ。」っていう問題ではないのだ。でも、人の買い物に同行するのは好きだったりするから不思議だ。

 

 

一人で定期的に飲みに行く。気になる店があれば、サクッと一人で入る。

大将やマスターがいるようなお店が好きで、店主の雰囲気がお店の雰囲気でもあるので、それをツマミに飲んだりする。

たまに、飲み屋で本を読みながら飲んでいる人がいるけど、そういう人の横でしっぽり飲めた日には、贅沢な気持ちになる。

 

 

同様に、電車の中で本を読んでる人座っているとその人を自分の視野に置きたい。

「本を読んでる人」を見ると、安堵する。

自分の世界に入って、孤独を楽しんでいる人が私は大好きだ。

「そうそう、本当に心から楽しめる人と時間は共有していけばいい」と心が和む。

 

 

スマホに勤しむ人は知らない間にエネルギーを奪われているのに、それでも人と繋がっていたくてSNSをする。

スマホというただの機器が人間をどんどん孤独にするのに、淋しさに負けて「いいね!」が欲しくて、「いいね!」で繋がっていることを確認し合う。

リアクションがもらえなければ、無視されているのでは?とやきもきしたり。SNSを利用したことがある人が皆、感じたことがある気持ちだろう。

 

 

リアルな友人と繋がっていないアカウントは裏垢と呼ばれるが、その方が自分らしく、誰の目も気にせず、言いたいことを言える。寧ろ本垢ではないか。

私のツイッターアカウントは21歳に作ってから誰にも教えていない筋金入りの本垢であるため今後も誰にも知られず呟き続けるだろう。最高!

 

 

簡単に繋がれる分、どんどん不自由な世の中になってきているのではないか、とSNSを利用しながら自由なのに閉塞感を感じる。

 

それは人と繋がり過ぎてしまうことが原因かもしれない。

私生活を知らないで疎遠で居た方が長持ちする関係性というものがあるのに、常に確認し合うことで、どんどん疎遠になっていく。

 

食材を冷凍庫で凍らせた方が長持ちするのに、冷蔵庫で開けたり閉めたり、解凍を繰り返すのは食材を傷めているように感じる時がある。

 

昔は自殺の原因は自分への嫌悪感だったと思うが、今や人間関係が圧倒的理由になっている。正直、私は自分に関心を示してくれる人以外、どうでもいい。だから自殺することはないな、と思う。単純でよかった。

 

 

自分に関心を示してくれなくてヤキモキするなら気がつくように好意を示せばいい。

だから、私の人間関係は好意があるもの同士でしか循環しない。

likeとlike。loveとlove。

そしてその好意が返ってくるとは思って居ない。

 

 

 

 

孤独を推奨する一方で、友達と会っている時は、友達との時間をとことん楽しむ。

私が明るい人だと思っている人は、私の孤独っぷりをもしかしたら意外に思うかもしれないが、「孤独だからこそ、人は明るく振る舞える」のだと感じる。だから明石家さんまとマチャミって本当に孤独な人だなって好感。

 

 

孤独だからこそ、人と人との時間が特別な時間のように感じられる。

私には孤独な時間が必要だし、同じように友達から孤独を感じるときに、「この友情は長持ちする」と感じ、敬意を持つ。

 

淋しいからって淋しさを友情で消すなんて、たまったもんじゃない。そんなの友情でもなんでもない。「孤独」があるから、友情は長持ちするに違いない。

 

 

淋しさや不安を感じる時は、大体自分に甘い。

かく言う私も自分の甘さを感じる時がある。

 

自分が時間や寝食を忘れて打ち込めることをしていないときに感じるのが

「淋しさ」の正体。

 

まだまだ甘い、と思う時もあれば、孤独と舞ってる時もある。

それを繰り返していく。生きてる限り。 

 

 

孤独は真の自由な姿。

孤独は贅沢。

孤独と淋しさは別物。

素敵な人は皆、孤独。

 

そんなところかな。

 

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この世界に必要とされない人になろう

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周りが自分を必要としないように、
周りを自立させるって、
凄い愛。

 

「誰にも求められなくても大丈夫。」

そう思えた時
自分の中から愛が溢れてる事に気がついて
世界は完璧だ、と思える。

 

何故「必要とされたい。」と、苦悩するのかというと、寂しくて悲しくて辛くて認めて欲くて孤独だから。

 

世界が自立して私がいなくても回ってる喜びを

感じていないから。

 


本当に世界平和を願うなら、
「世界が私を必要としないこと」を祈ればいい。

 

 

30年くらい生きてるけど
そこに辿り着きたくてずっとやってきて
本当最近やっと分かったような気がしてる。

 


単純に「孤独だなぁ。寂しいなぁ。」って思う時もあるけど、それは波みたいなもんで仕方ない。
 


以前の私はいかに合理的でいかに賢く、いかに生産的で、いかにクリエイティブで、、、「生み出す」ことばかり考えていた。生産的であることに誇りを持っていた。

 


今でこそ、自分が孤独を感じる時でも「今日も、世界は完璧だ。」と思えようになってきたけど、昔は、嫉妬や悲しみ寂しさに覆われて、私の中にある優しさや本当に大きい愛みたいなものは実体を無くした。

悲しさや寂しさを庇うために色々な事をした。今でもある。感情に乗っ取られてる時。

 

そういう悲しみも寂しさも、誰かをいいなって思う気持ちも、ずっと続いていく。きっと、生きてる限りね。そう思った時、なんか笑えた。

 

「もう抗うのやめよう」って思った。

 

この世界は完璧だから。唯一の完璧な存在だから。

 

 

  

 

生きてるこの日常への信頼感。
生きてるこの世界への信頼感。
生きて関わっている人への信頼感。
生きて関わっている社会への信頼感。
親への信頼感。
夫への信頼感。
友達への信頼感。


それが裏切りという形でひっくり返ったとしても、この世界が完璧であることに変わりはないのです。

 


大抵のことは自分の物差しでしか見れないし、測れないし、自分の都合。

 

この世界が残酷でも不条理でも理不尽でも不平等でも。それに悲しむのも喜ぶのも全て自己都合。

 

だからこそ、この世界が残酷で不条理で理不尽で不平等だからこそ、人は人と手を取り合わないと生きていけないんじゃないかな。

 

そこに人の強さと弱さを垣間見ることができる。

 


この世界は完璧だから、この世界をどうにかするために情報発信をするなら、そんなことしなくていい。

  

 

変えようとしなくてもいいのがこの世界。

だって満ち足りてるのに、そこに介入したいのは自己都合だから。

 


「この世界は完璧。」
その上でやりたいことをやる。
変えようとするのではなく、単純にやりたいと思える事をやればいい。 

 


最近は夫も仕事面で私を必要とせず、仕事を頑張っている。なんて、有難いのでしょう。

ありがとう、夫。


また一つ、私を必要としない世界が実現していく。そしてずっとそれを望んできて、下準備をしてきた。

 


「この世界は完璧。」

だからこそ誰にも必要とされない人になりたい。

 

周りがどんどん自立して、どんどん私を必要としなくなることを祝福したい。
喜んで手放せる私で在りたい。

 

 

誰にも、必要とされない状況で、本当に自分がやりたいことができること。

それが本望。

 

ビジネスとしては破談だけど、必要とされないってことは、みんなが満たされているということ。

私すっごく愛のあるやつだなぁって、自分で自分が満ちて、与えたくなる。でも欲しいものは欲しいから手に入れるね。

 

 
その繰り返し。

 

 

この世界は完璧だと分かった上で

この世界で生きていく。

 

この世界に還元して、いつか還る。

 

肉体も記憶もいつかなくなってしまうだろう。でもその時に、この世界にきっと、感謝するだろう。

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が、本当にセッ クスの上手い人。

男は電マには勝てない。

女性がエクスタシーを感じるのは、技術ではないのだ。

 

いい映画を観た後は余韻が残るように、この作品は観終わった後「幸福なセッ クスをした後のような余韻」が残った。

 

主演、松坂桃李娼年

 

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男がヤリたいと思う女に遭遇するように、女だって、抱かれたいと思う男に時々遭遇する。松坂桃李演じる領は女性から見て「抱かれたい」と思う男だった。

 

「女なんてつまらないよ。」

 

そんなこと言う男に女は疼くだろう。

 

 

本当のセッ クスっていうのは、男性本位でするものではない。

 

女性の私が言うと門が立つかもしれないが、

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が本当にセッ クスの上手い男性だ。

 

 

体中の毛穴という毛穴からフェロモンを出して、その視線、その体、その翳りで、体の全てを潤ませた女性に「今すぐ、したいな。」と言わせて欲しい。

 

本当にセッ  クスのうまい男は女に「したい。」と言わせる。そこからもう、前戯は始まってる。

 

 

 

女性は数を重ねるために、体を重ねたいんじゃない。

若い時はそれがわからないけど、セッ  クスして、「女」から「女性」に成って、数を重ねると分かるようになる。

体の快楽よりも、違うことを求めていることに。

 

 

 

女性は、全て、脱ぎたい。

服だけじゃなくて、心も脱がして欲しい。

肉体の触れ合いで、心を開きたい。

 

だから、心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

インスタントな行為に癒されるときもある。

でもインスタントな行為と承知の上で、情事に及ぶ。

 

ヤったからって本気になったりしない。

でも。本気になっても大丈夫な男としか寝たくない。

 

「都合の良い女」ではなく、「都合よくちん  こを借りる。」それがワンナイト・ラブ。

それすらも、自分が欲情しないと出来ないのだけど。

 

 

 

 

プラトニックなセックスを重ねても、心は潤まない。

そして矛盾するようだが、本当に幸福なセッ クスをすると涙が出たりする。

 

 

愛液は体の涙のようなもので反応すれば濡れるけど、眼から溢れる涙は本当に感じないと出ない。

それが幸福の涙なのか、虚しさの涙なのかは、相手とのセッ  クスによる。

 

 

だから、女性は相手を診る。

心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

 

「生身」という鮮度の良い、溶けるような幸福感の中には、全ての快楽が含まれている。

 

女性にとってのセッ クスは最高の癒しであり、癒しあう行為なのかもしれない。

性欲(制欲)を満たしたいなら、オナニーをすればいい。だけど、それでは絶対に満たされない。

 

だから、心を満たすことができる男性を本能的に察知する。

 

自己処理ではなくて、他人の体と一緒に裸で快楽や羞恥心を時に堪能し、時に貪るということは言葉を超えて、逝く。

 

 

女として生まれて、男性に女性として必要とされる悦びは、自身の存在意義にも繋がる。

 

 

 「悦んで、逝きたい。」

それが女性の本音なのではないだろうか。

 

 

 そして、心を脱がしてくれたこの映画に乾杯。帰り道に「娼年、いないかな?」と思いながら帰ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

もののけ姫

人間とは「自分は賢い」と思いたい生き物なのである。

byワタナベアコ

 

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意識高い系の馬鹿がドトールでコーヒーをオーダーした際に「オーガニックのシュガーはありますか?」と言った瞬間、辺りの空気が張りつめた。

 


張りつめた弓の ふるえる弦よ
意識高い馬鹿にざわめく お客の心

とぎすまされた視線が集まる
そのきっさきに集まる そなたの横顔

悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは
森の精 もののけ達だけ もののけ達だけ

 

 

店員さん「。。無いんですよね。(半笑い)

  

   
落ち着け、アタシ。
アタシにサンは救えない。

 


私の内部では「オーガニックのシュガーは大変素晴らしいんですが、安くて美味しいコーヒーを提供しているチェーン店ドトールでそれを仰ったりしちゃったりするんですね、どうかお引き取り頂けないでしょうか。」とドトール出禁のテレパーシをひっそりと送らせて頂いた、ということが過去にありました。

 


ドトール筆頭株主でもないのに、ふざけるなよ、自分。ていうか、お砂糖じゃなくて、シュガー!!!その辺にも意識意識高い系の馬鹿力を感じる!!

 

あぁ、ここにも思い込みが激しめの渡辺って、森の精霊がいた。アシカガ!アタシを助けて!

 

 

考察するに、人間誰しも偏っている。

特に女性の8割は其々ジャンルが違うだけで、大体、意識高い系馬鹿だと思われます。もののけ姫なんです。私含め。

 

 

と、意識高めの記事を書いていたら、鯖が焦げかけた。そうだ、私は朝ご飯を作っていたんだった。これだから意識高い系の馬鹿は。

 

 

そう思いながらFBに上記までの内容をシェアしたところ、驚愕の事実発覚。

 

 

「オーガニックシュガーを置いてある店舗があるからそのお客さん店員に確認しただけだと思いますよ。」(サポート・by・FB友達)

 

 

 

つまり私が無知なだけだった。ってこと。

 

完敗!

 

アシカガ!!早くアタシを迎えにきて!!