Unplugged

〜ワタナベアコのコラム的ブログ〜

栗城さん。

栗城さん。

 

栗城さんとは同郷で
『彼、栗城くん。山登ってるんだ。』
と知人に紹介して頂いたことがありました。

 

その時私は20歳で栗城さんが登山家だということも知らなかった。「イケメンの登山家っているんだ〜」とミーハー心から恋でも始まりそうな。実際には何も始まらなかったし、お会いしたのもそれっきりだったけど『栗城 史多』って登山家がいる。って事はその時インプットされた。

 

その後は、たまに活動を拝見していた。

 

栗城さんの挑戦している姿を見る度に、安心した。『いい意味で変わらない栗城さん。』を見る度に。

 

一度会って話をしただけなんだけど、私の中に栗城さん残ってるんだよね。


訃報を知った時、『下山はいつも成功してたのに。下山ができたら登頂なんかできなくても、よかったのに。』って正直思った。

生きていて欲しくて。

 

同時に下山し続ける事ができるって奇跡みたいなことだったんだなって。

何度もその奇跡を叶えてきたじゃん、、って。思った。

 

エベレスト登頂できなくても、栗城さんだからこそ、なし得たことがあったんだよ。

 

 

栗城さんのことを登山家として無謀とか三流とか叩く人がいる。
でもそう言う人は命を賭けて挑戦できる何かはあるのだろうか。

もし自分が挑戦中であることを自覚するなら、、人の生き方に干渉できないんじゃないかな。


プレイヤーを叩くのは、
プレイヤーじゃない傍観者だから。

 

 

私は彼が無謀だクレイジーだと叩くのではなく『彼はクレイジーだけど、だから栗城 史多だったよね』と彼を偲べる人と悲しみを分かち合いたいと思う。

 

酸素ボンベ持ってかないで
エベレスト行っちゃう栗城さんは確かにクレイジーだし、毎回難しいコースを選んじゃう栗城さんクレイジーだよ。


9本指無くて単独登山で一番厳しいコースってなんだよ、、本当クレイジーだよ。


でも、『誰もなし得なかったことをする』のが彼の美徳でスタイルだった。栗城さんは栗城さんの人生を全うしたのだと思う。

 

夢物語ではなく、体験談を語る栗城さんに励まされた方は多かったのではないでしょうか。

 

20歳の時デザイナーを夢見てた私も、その内の一人です。
夢の傍観者ではなく、夢の道中を行く人で在りたいと思えました。


私の中に栗城さんが残っているように、きっと多くの人の記憶に残り続ける。

 


栗城さん、ありがとう。

 

 
私も私の命を全うしよう。

誰と比べるわけでもなく、

私の命を全うしよう。


そう思わせてくれる栗城さん、ありがとう。

 

 

誰もなし得なかったことをして

今エベレストより高いところにいる栗城さんへ。

 

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孤独という蜜

私は元来孤独な人間だ。

 

人は孤独に対して、どういうイメージがあるだろう。

どちらかというと淋しくて可哀想なイメージが世間ではあるのではないだろうか。

 

私は、自分の意のまま、思いのままに過ごせる孤独な時間を愛している。

 

 

現代人はいかに効率よく時間を過ごすのかが大切。

時間を無題にするなんて許されないのだろう。

 

カフェでスマホを見ないで、時間が過ぎていくのを楽しむってことを、多分現代っ子は忘れているので、そんな光景をみながら微睡んだりしている。

 

そんな私の日常は孤独に溢れている。

人混みの中で皆、目的地を持って歩いてることに感嘆としたり、花屋さんの寄って花の匂いを嗅いで、自宅用に花を買ったり。

一人都内の公園を散歩したり、美術館で作品を眺めながら泣きそうになったり、一人で映画を観てニヤニヤしながら帰ったり、二人暮らしの部屋で一人を感じたり。

知らない町で知らない道を一人で歩いてる時なんて、ワクワクドキドキだし

一人で外食して、座ったらすぐメニューを決めてオーダーし、出来上がるまで本を読みながら待ったりしている時なんて、無上の喜びで至福の時だと思っている。

 

 

ジムもジム友達なんて作ろうと思わない。

「次は何曜日にくるの?」なんて会話を更衣室で聞いたことがあるが、そうなったらジム友達を気にしながらジムに通わなければならない。

それってなんて苦痛なんだろう。

 

 

私のジムでの過ごし方は、脳内を空っぽにしながらトレーニングしたりプールの中を歩いたり、爆音で好きな音楽を聴きながらウオーキングしたり、ヨガの時間が合えばヨガに参加して、温泉に浸かって、体調がよければサウナも入って、お気に入りのボディークリームを塗って、パックしながらドライヤーをする。

ジムのスタッフにだけ「こんにちわ」と「さようなら」が言えればいい。

家までの帰り道一人で夜風に吹かれている時、最高に幸せを感じる。

 

 

本当に孤独な時間を過ごす時、そこに淋しさは存在しない。

ただ、ただ、崇高で澄んでいて、満ち足りていて、優しく穏やかな気持ちになる。

誰の力も借りず自立している清々しさ。

それって最高に幸せじゃないですか?

 

 

ショッピングはいつも一人。

むしろ、一人じゃないと買い物ができない。

自分の買い物に相手を付き合わせるということができないし、そんなの気を遣って仕方がない。「そんなの相手は気にしてないですよ。」っていう問題ではないのだ。でも、人の買い物に同行するのは好きだったりするから不思議だ。

 

 

一人で定期的に飲みに行く。気になる店があれば、サクッと一人で入る。

大将やマスターがいるようなお店が好きで、店主の雰囲気がお店の雰囲気でもあるので、それをツマミに飲んだりする。

たまに、飲み屋で本を読みながら飲んでいる人がいるけど、そういう人の横でしっぽり飲めた日には、贅沢な気持ちになる。

 

 

同様に、電車の中で本を読んでる人座っているとその人を自分の視野に置きたい。

「本を読んでる人」を見ると、安堵する。

自分の世界に入って、孤独を楽しんでいる人が私は大好きだ。

「そうそう、本当に心から楽しめる人と時間は共有していけばいい」と心が和む。

 

 

スマホに勤しむ人は知らない間にエネルギーを奪われているのに、それでも人と繋がっていたくてSNSをする。

スマホというただの機器が人間をどんどん孤独にするのに、淋しさに負けて「いいね!」が欲しくて、「いいね!」で繋がっていることを確認し合う。

リアクションがもらえなければ、無視されているのでは?とやきもきしたり。SNSを利用したことがある人が皆、感じたことがある気持ちだろう。

 

 

リアルな友人と繋がっていないアカウントは裏垢と呼ばれるが、その方が自分らしく、誰の目も気にせず、言いたいことを言える。寧ろ本垢ではないか。

私のツイッターアカウントは21歳に作ってから誰にも教えていない筋金入りの本垢であるため今後も誰にも知られず呟き続けるだろう。最高!

 

 

簡単に繋がれる分、どんどん不自由な世の中になってきているのではないか、とSNSを利用しながら自由なのに閉塞感を感じる。

 

それは人と繋がり過ぎてしまうことが原因かもしれない。

私生活を知らないで疎遠で居た方が長持ちする関係性というものがあるのに、常に確認し合うことで、どんどん疎遠になっていく。

 

食材を冷凍庫で凍らせた方が長持ちするのに、冷蔵庫で開けたり閉めたり、解凍を繰り返すのは食材を傷めているように感じる時がある。

 

昔は自殺の原因は自分への嫌悪感だったと思うが、今や人間関係が圧倒的理由になっている。正直、私は自分に関心を示してくれる人以外、どうでもいい。だから自殺することはないな、と思う。単純でよかった。

 

 

自分に関心を示してくれなくてヤキモキするなら気がつくように好意を示せばいい。

だから、私の人間関係は好意があるもの同士でしか循環しない。

likeとlike。loveとlove。

そしてその好意が返ってくるとは思って居ない。

 

 

 

 

孤独を推奨する一方で、友達と会っている時は、友達との時間をとことん楽しむ。

私が明るい人だと思っている人は、私の孤独っぷりをもしかしたら意外に思うかもしれないが、「孤独だからこそ、人は明るく振る舞える」のだと感じる。だから明石家さんまとマチャミって本当に孤独な人だなって好感。

 

 

孤独だからこそ、人と人との時間が特別な時間のように感じられる。

私には孤独な時間が必要だし、同じように友達から孤独を感じるときに、「この友情は長持ちする」と感じ、敬意を持つ。

 

淋しいからって淋しさを友情で消すなんて、たまったもんじゃない。そんなの友情でもなんでもない。「孤独」があるから、友情は長持ちするに違いない。

 

 

淋しさや不安を感じる時は、大体自分に甘い。

かく言う私も自分の甘さを感じる時がある。

 

自分が時間や寝食を忘れて打ち込めることをしていないときに感じるのが

「淋しさ」の正体。

 

まだまだ甘い、と思う時もあれば、孤独と舞ってる時もある。

それを繰り返していく。生きてる限り。 

 

 

孤独は真の自由な姿。

孤独は贅沢。

孤独と淋しさは別物。

素敵な人は皆、孤独。

 

そんなところかな。

 

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この世界に必要とされない人になろう

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周りが自分を必要としないように、
周りを自立させるって、
凄い愛。

 

「誰にも求められなくても大丈夫。」

そう思えた時
自分の中から愛が溢れてる事に気がついて
世界は完璧だ、と思える。

 

何故「必要とされたい。」と、苦悩するのかというと、寂しくて悲しくて辛くて認めて欲くて孤独だから。

 

世界が自立して私がいなくても回ってる喜びを

感じていないから。

 


本当に世界平和を願うなら、
「世界が私を必要としないこと」を祈ればいい。

 

 

30年くらい生きてるけど
そこに辿り着きたくてずっとやってきて
本当最近やっと分かったような気がしてる。

 


単純に「孤独だなぁ。寂しいなぁ。」って思う時もあるけど、それは波みたいなもんで仕方ない。
 


以前の私はいかに合理的でいかに賢く、いかに生産的で、いかにクリエイティブで、、、「生み出す」ことばかり考えていた。生産的であることに誇りを持っていた。

 


今でこそ、自分が孤独を感じる時でも「今日も、世界は完璧だ。」と思えようになってきたけど、昔は、嫉妬や悲しみ寂しさに覆われて、私の中にある優しさや本当に大きい愛みたいなものは実体を無くした。

悲しさや寂しさを庇うために色々な事をした。今でもある。感情に乗っ取られてる時。

 

そういう悲しみも寂しさも、誰かをいいなって思う気持ちも、ずっと続いていく。きっと、生きてる限りね。そう思った時、なんか笑えた。

 

「もう抗うのやめよう」って思った。

 

この世界は完璧だから。唯一の完璧な存在だから。

 

 

  

 

生きてるこの日常への信頼感。
生きてるこの世界への信頼感。
生きて関わっている人への信頼感。
生きて関わっている社会への信頼感。
親への信頼感。
夫への信頼感。
友達への信頼感。


それが裏切りという形でひっくり返ったとしても、この世界が完璧であることに変わりはないのです。

 


大抵のことは自分の物差しでしか見れないし、測れないし、自分の都合。

 

この世界が残酷でも不条理でも理不尽でも不平等でも。それに悲しむのも喜ぶのも全て自己都合。

 

だからこそ、この世界が残酷で不条理で理不尽で不平等だからこそ、人は人と手を取り合わないと生きていけないんじゃないかな。

 

そこに人の強さと弱さを垣間見ることができる。

 


この世界は完璧だから、この世界をどうにかするために情報発信をするなら、そんなことしなくていい。

  

 

変えようとしなくてもいいのがこの世界。

だって満ち足りてるのに、そこに介入したいのは自己都合だから。

 


「この世界は完璧。」
その上でやりたいことをやる。
変えようとするのではなく、単純にやりたいと思える事をやればいい。 

 


最近は夫も仕事面で私を必要とせず、仕事を頑張っている。なんて、有難いのでしょう。

ありがとう、夫。


また一つ、私を必要としない世界が実現していく。そしてずっとそれを望んできて、下準備をしてきた。

 


「この世界は完璧。」

だからこそ誰にも必要とされない人になりたい。

 

周りがどんどん自立して、どんどん私を必要としなくなることを祝福したい。
喜んで手放せる私で在りたい。

 

 

誰にも、必要とされない状況で、本当に自分がやりたいことができること。

それが本望。

 

ビジネスとしては破談だけど、必要とされないってことは、みんなが満たされているということ。

私すっごく愛のあるやつだなぁって、自分で自分が満ちて、与えたくなる。でも欲しいものは欲しいから手に入れるね。

 

 
その繰り返し。

 

 

この世界は完璧だと分かった上で

この世界で生きていく。

 

この世界に還元して、いつか還る。

 

肉体も記憶もいつかなくなってしまうだろう。でもその時に、この世界にきっと、感謝するだろう。

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が、本当にセッ クスの上手い人。

男は電マには勝てない。

女性がエクスタシーを感じるのは、技術ではないのだ。

 

いい映画を観た後は余韻が残るように、この作品は観終わった後「幸福なセッ クスをした後のような余韻」が残った。

 

主演、松坂桃李娼年

 

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男がヤリたいと思う女に遭遇するように、女だって、抱かれたいと思う男に時々遭遇する。松坂桃李演じる領は女性から見て「抱かれたい」と思う男だった。

 

「女なんてつまらないよ。」

 

そんなこと言う男に女は疼くだろう。

 

 

本当のセッ クスっていうのは、男性本位でするものではない。

 

女性の私が言うと門が立つかもしれないが、

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が本当にセッ クスの上手い男性だ。

 

 

体中の毛穴という毛穴からフェロモンを出して、その視線、その体、その翳りで、体の全てを潤ませた女性に「今すぐ、したいな。」と言わせて欲しい。

 

本当にセッ  クスのうまい男は女に「したい。」と言わせる。そこからもう、前戯は始まってる。

 

 

 

女性は数を重ねるために、体を重ねたいんじゃない。

若い時はそれがわからないけど、セッ  クスして、「女」から「女性」に成って、数を重ねると分かるようになる。

体の快楽よりも、違うことを求めていることに。

 

 

 

女性は、全て、脱ぎたい。

服だけじゃなくて、心も脱がして欲しい。

肉体の触れ合いで、心を開きたい。

 

だから、心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

インスタントな行為に癒されるときもある。

でもインスタントな行為と承知の上で、情事に及ぶ。

 

ヤったからって本気になったりしない。

でも。本気になっても大丈夫な男としか寝たくない。

 

「都合の良い女」ではなく、「都合よくちん  こを借りる。」それがワンナイト・ラブ。

それすらも、自分が欲情しないと出来ないのだけど。

 

 

 

 

プラトニックなセックスを重ねても、心は潤まない。

そして矛盾するようだが、本当に幸福なセッ クスをすると涙が出たりする。

 

 

愛液は体の涙のようなもので反応すれば濡れるけど、眼から溢れる涙は本当に感じないと出ない。

それが幸福の涙なのか、虚しさの涙なのかは、相手とのセッ  クスによる。

 

 

だから、女性は相手を診る。

心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

 

「生身」という鮮度の良い、溶けるような幸福感の中には、全ての快楽が含まれている。

 

女性にとってのセッ クスは最高の癒しであり、癒しあう行為なのかもしれない。

性欲(制欲)を満たしたいなら、オナニーをすればいい。だけど、それでは絶対に満たされない。

 

だから、心を満たすことができる男性を本能的に察知する。

 

自己処理ではなくて、他人の体と一緒に裸で快楽や羞恥心を時に堪能し、時に貪るということは言葉を超えて、逝く。

 

 

女として生まれて、男性に女性として必要とされる悦びは、自身の存在意義にも繋がる。

 

 

 「悦んで、逝きたい。」

それが女性の本音なのではないだろうか。

 

 

 そして、心を脱がしてくれたこの映画に乾杯。帰り道に「娼年、いないかな?」と思いながら帰ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

もののけ姫

人間とは「自分は賢い」と思いたい生き物なのである。

by渡辺アコ

 

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意識高い系の馬鹿がドトールでコーヒーをオーダーした際に「オーガニックのシュガーはありますか?」と言った瞬間、辺りの空気が張りつめた。

 


張りつめた弓の ふるえる弦よ
意識高い馬鹿にざわめく お客の心

とぎすまされた視線が集まる
そのきっさきに集まる そなたの横顔

悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは
森の精 もののけ達だけ もののけ達だけ

 

 

店員さん「。。無いんですよね。(半笑い)

  

   
落ち着け、アタシ。
アタシにサンは救えない。

 


私の内部では「オーガニックのシュガーは大変素晴らしいんですが、安くて美味しいコーヒーを提供しているチェーン店ドトールでそれを仰ったりしちゃったりするんですね、どうかお引き取り頂けないでしょうか。」とドトール出禁のテレパーシをひっそりと送らせて頂いた、ということが過去にありました。

 


ドトール筆頭株主でもないのに、ふざけるなよ、自分。ていうか、お砂糖じゃなくて、シュガー!!!その辺にも意識意識高い系の馬鹿力を感じる!!

 

あぁ、ここにも思い込みが激しめの渡辺って、森の精霊がいた。アシカガ!アタシを助けて!

 

 

考察するに、人間誰しも偏っている。

特に女性の8割は其々ジャンルが違うだけで、大体、意識高い系馬鹿だと思われます。もののけ姫なんです。私含め。

 

 

と、意識高めの記事を書いていたら、鯖が焦げかけた。そうだ、私は朝ご飯を作っていたんだった。これだから意識高い系の馬鹿は。

 

 

そう思いながらFBに上記までの内容をシェアしたところ、驚愕の事実発覚。

 

 

「オーガニックシュガーを置いてある店舗があるからそのお客さん店員に確認しただけだと思いますよ。」(サポート・by・FB友達)

 

 

 

つまり私が無知なだけだった。ってこと。

 

完敗!

 

アシカガ!!早くアタシを迎えにきて!!

結成。秘密結社。新宿の自作自演家「渡辺興行」

沼活が終わらない。

 

〜沼活〜

01.Finally

http://tacotoma.hatenablog.com/entry/2018/04/22/211638

 

02.アーティストとクリエイターについて。

http://tacotoma.hatenablog.com/entry/2018/04/23/072633

 

 

 

FBに自ら自分のブログをシェアしない!って言っておいて、完全に仕事と関係ない超個人的な本ブログは、より一層、厨二感を強めた。厨二の部屋。空気の入れ替えをしていない埃と汗とオナニーと。ため息が止まらない。

 

そこでやっと私を救う考えが浮上。

 

■ブログを書く人:アーティスト渡辺

■ブログを纏めてアルバムを作る人:エンジニア渡辺

■ジャケット制作:クリエイター渡辺

■企画制作:渡辺興行

 

で、分業制にしよう。

どうよ、これ。我ながら名案なんだけど。

 

それだったら自分で自分をシェアできる勇気が湧いてくる。

だってアーティスト渡辺じゃなくて、クリエイター渡辺と渡辺興行がついている。アーティスト渡辺は安心してアーティストしてればいい。

 

オナ部屋で人生終えるなんてごめんだ。渡辺興行が責任を持ってリリース(SNSシェア活動:通称沼活)を、サポート!!

もうね、沼勝!沼喝!!自作自演マンセー劇団ひとりー!ついていくよー!

 

オナ部屋で綴っていたら、視野が狭くなる。どっちにしろオナニーって言われるならもう、自分のヤリたいことやって死んだ方がいい。

渡辺興行は一期団結してこの不測の事態「沼活」を乗り越えていこう!恋活・パパ活・婚活・沼活、つって。

 

 

■ブログを書く人:アーティスト渡辺

■ブログを纏めてアルバムを作る人:エンジニア渡辺

■ジャケット制作:クリエイター渡辺

■企画制作:渡辺興行

 

みんな!力を合わせて!いざ、行かん!自己満の向こう側へ!ONE PIECE

 

 

 

で、ペンネームの件。今更すぎて逆に恥ずかしくなってきた。

なんかね、ペンネームで隠蔽したいその感じが逆に恥ずかしく終えてきた。

本当恥の多い人生を送ってきました。

ただ、リアルで身近な人との接触事故を書きたい時もあるんだよねー。書きたいよねぇぇぇ。身バレww

 

ペンネペンネーム)は有難いんだけど、私にペンネを与えたら偽名をいいことに言いたい放題でオナニーし放題になって、「言いたいことも言えないでオナ記事書く渡辺じゃ、ポイズン。」ってなるだろうなって。今脳内で脳内サミット開いたけど各首脳が頷いた。

 

 

ブログを書いても大衆に届けていかなければ、埃と汗とオナニー部屋と私。

 

やっぱり届けていかなくては。

everyday,この部屋の空気を淀ませたくはない。

 

Finally迎えて、すごい爽快な気分だったのに、新たな着地地点を見た。なんか毎年春がくるとFinally迎えてオナ部屋から外の世界に放り出される。全部春のせい。

 

沼活には相乗効果ってものがって「自意識過剰」という匂いが香ってくる。お線香の匂い。今30歳なんですがね。そして「あなたのその自意識、中二病なんですよ。」っていう聖人の声に怯える。うるせー出家!!ホッケ!縞ホッケ!!

 

あのね、縞ホッケ。縞ホッケは正しい。

正しいことと自分を比べては発酵とを繰り返し、ブルーチーズになった頃、春を毎年迎えるの。

 

なんかね、「普通」に押しつぶされそうになるわけです。そんな時は「人は人。自分は自分。」って御守りのように唱える。みんな違ってみんな良い。みつを、ってさ。

ただ、「人は人自分は自分」ってやり過ぎると自分の正しさややり方が強くなるから、これくらいチキンライスな女でいいのかな、とも思ってる。

 

お守りと言えば、私は人間失格に共感しすぎて高校生の時、お守り代わりに学生鞄のSokoに沈めてさ。又吉が太宰好きだってテレビで見た時に、あー親友になれるー。と思った。

孤独を知ってる人に人というのは萌える。又吉の孤独に乾杯。

 

 

 

 

ニハトモアレ、秘密結社渡辺興行は「沼活」のリリースに向けて動き出した。

 

SNS沼の祟り神に告ぐ。

ソナタの名は何と申す!名前を忘れたら湯婆婆に名前を取られちゃうよ!!

 

■ブログを書く人:アーティスト渡辺

■ブログを纏めてアルバムを作る人:エンジニア渡辺

■ジャケット制作:クリエイター渡辺

■企画制作:渡辺興行

 

 

つづく・・・

アーティストとクリエイターについて。

めっちゃ分かったことがあった。もう物凄く腑に落ちた。

今日、朝4時に起きて2時間ほど書いてたんですよね。やったーーーー!!もう誰の目も自分の目も気にせず自由に勝手にブログを綴ろう、この支配からの卒業ーーつって。

 

そんで書いてたらさ、あれ、どんどんハナシが脱線していくな、私は沼活(自分は人からどう見られるのかを気にして沼にハマっていく活動)の話がしたいのになんでか、どうしてか、アーティストとクリエイターの違いについて述べているのだろうってなって。

 

それで、気づいた。

私はクリエイター要素とアーティスト要素、どっちも強くて、世界観を分けないと自爆するんだなって。

つまり、クリエイターブログとアーティストブログ2つ用意して分けて、更新しないと自分の身が持たないな、って。

 

あーーーまじですかーーーーまじですかーーーーどうしてそんなにお手数ばかり掛かるんですかーーーって思って、朝から。

 

でもね、クリエイターは売れたらアーティストに昇格するし、アーティストは売れたらクリエイターになる。うん。どっちも同じようなもの。赤味噌白味噌は両方味噌だけど違うのと同じ。だから結局、分ける必要ないか。私の閃きは忘却の彼方へ。

 

書いていて楽しいのはアーティスト要素が強い方。今のこの状態の文章のことです。手が止まらない。だって自己表現は自由なんだもの。でもそうやってると「アタシったら、また公開オナニーぶっこいて!!!」って死にたくなるんだよね。

 

どうやらアーティスト=オナニーの植え付けがあるらしい。売れっ子アーティストはアンチこそいるけど、オナニーとは言われないよね。

オナニーって言われるのは、売れてないからだ。

 

でもさ、仕事がデザイナーで普段クリエイターであることに努めているので、なんかただ自分が満足するだけの自己満足は許せないわけ。「持ってけ、ドロボー」つってなんかお饅頭でもお団子でも手土産包みたくなる。

 

クライアントに喜んでもらうためのクリエイターと大衆に喜んでもらうためのアーティスト。そう考えるとブロガーってアーティスト活動だよね。

だから私のブログだけしか私を知らない人は「アーティストだねぇ!」って言うよね。ブログは断片にすぎないんだけど。

 

アーティストとプロは違う!って考える人もいるけど、バーカバーカ、4時起きで書いてるバカアーティストがここにいますよ、つって。オリンピック選手はアマチュアだけど、すごい感動するじゃん。

 

羽生くんはプロですか?アマですか?アーティストですか?まじで愚問じゃない?

 

でもプロ野球プロ野球で「あープロだねぇ」って思うしさ。どちらにも厳しさは伴うってこと。

 

「自分とは合わないから嫌だ」、って理由で仕事を断るのはアーティストなイメージらしいけど、単純にそれは責任感の問題じゃないですか?最初のヒアリング不足じゃないですか?クリエイターとかアーティストとか関係ないだろうね。でも期待に答えるのがプロ、って言うのは言える。

 

 

なんかさ、今思ったんだけど、ブログって他人の自己満足を他人が閲覧して、勝手に何か感じて笑ったり怒ったり、うざがったり、スルーしたり、するから自己満の向こう側、って感じ。(命名:ブログは自己満の向こう側。)

 

自己満の向こう側から、こう手がね。手が差し伸べられて名を名乗ってくれると、百恵でいうところの三浦友和がきたよ、みたいなね。そういう感じがするよね。

 

 

 

 

あれ、私、何のハナシしてましたっけ?

 

ほら、ミスチルの桜井さんもあの名前がない歌で言っていた「あるがままの心で生きらねぬ 弱さを 誰かのせいにして 過ごしてる 知らぬ間に築いてた檻の中でもがいてるなら 僕だってそうなんだ」

 

うん、そういうことになっていたよね、アタシ。。

 

そうなんだ、そうなんだ、桜井さんもそうなんだ。桜井さんにもそうなんだから、誰もアタシを責めないよね。だって私のバックには桜井さんがついてるんだから。掌もFAKEもニシエヒガシエもDrawingもHANABIも365日もついてるんだから。※これを人は虎の威を借る猫と巷では言います。

 

永遠と話が続いてくからこの辺で二度寝しよう。4時起き意味なし!