unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

普通の女になりたくないという女に遭遇すると戦慄を覚える

昔あれは11歳の時、体育の授業で担任の半田先生が言った。「普通って何?」何を持ってして彼にこんな事を言わせてしまったのかは覚えていないのだが、私は何か質問されて「普通。」と答えてしまったらしい。「普通って何?」と問われたので私は「。。標準?」と答える羽目になった。



半田先生は槇原敬之に似ていた。槇原敬之の顔ばかり思い浮かんで、何故半田先生に「普通って何?」と言わせてしまったのかが分からない。この事を思い出すたびに、「♫〜冬がはっじまるよ。」と槇原敬之が歌い出す。思い出せない事が大変残念なことのように思う。毎回冬が始まる。そして「♫〜どんな時も。」が脳内リフレインされ、ほっこりしながら事態を収拾させる。

 

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普通って何なのか考えると「普通なんてものは存在しないんだから、普通という概念に合わせる必要もないし、合わせることもできない。」という私の中のニーチェ的な存在が顔を覗かせる。


普通なんてものはない。でも確かに「普通」という感覚は各々の中にあるものだと思う。


それなのに「普通の女で終わりたくない」とか「普通が嫌だ。」という女性は何を目指しているのだろう。普通が嫌なら逆に「普通にならなきゃ!」と思えばいい。そうしたら、今の自分は普通ではなくなる。(屁理屈。)だからどんどん「普通にならなきゃ!私は普通じゃないから!」と思えばいいと思う。(戦慄が走る。)


「普通」という言葉から連想されるのは、一般的だったり平均的というニュアンスの言葉だ。つまり、普通の女が嫌だというのは「その他大勢の凡人には私はなりたくない!」という宣誓のように感じられる。


【普通の女にならない】というコンセプトで生きたら一体どういう女になるのだろう?


「普通の女」というものにどういう概念を持っているのかによって異なると思うが、「自分が普通だと思う事はしない」というのが普通じゃない女を志す者のルールになってくるのではないか。


普通だと思う事はしない、というのはどういう事なのか。。ここまでくるともう想像がつかない。具体的に著名人の名前を挙げて普通じゃない人を教えてほしい。


・どういう生き方で何をしたら普通なんだ?
・普通がつまらないから普通はいけないのか?
・普通は面白くないのか?
・要するに目立ちたいのか?
ウィキペディアに名前を連ねたいのか?



例えば、かの有名なアインシュタインは恐らく推測で物を申し上げてご本人には申し訳ないが普通だとは思われていなかったと思う。だけど少なくても「普通が嫌だ。」とか「普通の男で終わりたくない。」というコンセプトで生きてはいないように思う。

 

あと大体普通じゃない女はモテない。絶対モテない。男は普通な性格で普通よりも可愛くておっぱいが大きい子が好きなのだ。だから普通でありながら、なんか目立ちたいという意味で「普通の女になりたくない」という女に遭遇するとその都合のよさに戦慄を覚える。

 

 

「普通ってなに?」

と疑問を持つ度に半田先生が出てくる。

 

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普通って何?






でもこういう事を言うと、普通だという事にコンプレックスを抱いている女性に取り締まりを受ける事になり兼ねない。「何よ!この変なブログ書いてるやつ!普通こんな事書かないよね!この人おかしいよね!」と嫌われるに違いない。


あと「普通な人なんかいないよ。みんなおかしい。だから大丈夫あなたも普通じゃないよ。」と、思っても言わないよ、絶対。

 

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そんな事絶対言ってはいけない。「普通の女で終わりたくない」と誰が思っているか分からない以上この件についてはあやふやにして生きていく。

西野カナはいつ会えるのか

西野カナは若者から絶大なる人気を博す一方で、必ずと言っていいほど言われ続けている歌詞がある」と言われたら、西野カナを知っている人はあの歌詞を思い出してしまう。

 

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会いたくて会いたくて震えているにも関わらず「会いたくて会いたくて震える(笑)」と笑われてしまう。これが西野カナの歌詞の世界だ。

 

歌詞というものは会いたくて会いたくて震えるような恋心を「会いたくて会いたくて震える」と表現せずにどう表すかというところにその人のセンスが問われるのだが、彼女はストレートにその思いを表現している。その表現はTwitterのようだ。

 

しかしそのTwitter的なストレートな表現だからこそ若者に響いている。

 

BestFriendという歌で西野カナはこんなことを言っている。

ありがとう
君がいてくれて本当よかったよ
どんな時だっていつも
笑っていられる
例えば、離れていても 何年経っても
ずっと変わらないでしょ
私たちBest Friend
好きだよ、大好きだよ

 

作詞家たちは

ありがとう
君がいてくれて本当よかったよ
どんな時だっていつも
笑っていられる
例えば、離れていても 何年経っても
ずっと変わらないでしょ
私たちBest Friend
好きだよ、大好きだよ

をいかに比喩し、どう表現しようか頭を悩ませているというのに、西野カナはそのまま歌詞にした。これは作詞界ではおそらく反則なのではないだろうか。

 

しかしそのTwitter的なストレートな表現だからこそ若者に響いている。西野カナのターゲットユーザーは若者。だからこそ若者に伝わる表現をする西野カナを誰が攻めることができる?いやできないはずだ。

 

 

 

そうこう西野カナについて思想を張り巡らせていたところ、こんな記事に出会う。

 

ent.smt.docomo.ne.jp

 

この曲は、実は言葉を選んで多くの意図が込めてある歌詞。しかし、さらっと聴いたかぎりでは、なんとなく言葉を選んだように見える、ごく自然な歌詞に聴こえます。これが西野カナのすごさなんですね。

 

そうなのか。歌詞がむき出しなのではなく、意図的に多くの意味が込められているのか。こんなにも拾い所があるのに私は何故気がつけなかったのか。

 

 

 

 

もっと西野カナの魅力を知りたい!分かりたい!私も共感したい!と思い捜索を続ける。「西野カナ 魅力」で検索。するとグーグル先生はネイバーまとめを提示した。

 

matome.naver.jp

 

なんと、会いたくて震える西野カナがまた会えないと話題になったらしい。

 

 

 

 

私はだんだん、西野カナはいつ会えるのかが気になってきた。

西野カナ いつ会える」で検索。

 

 

 

 

 

 

 

mdpr.jp

 

 

 

 

 

 

 

西野カナ会えたwwwwww

 

 

タモリから「圧倒的に会えてない」との指摘

西野は8月に放送されたフジテレビ系「笑っていいとも!」テレフォンショッキングに出演した際、自ら作詞を手がける楽曲についてタモリと議論を繰り広げた。タモリは“(好きな人に)会えない”というフレーズが多く登場する歌詞に対して「今の時代、会おうと思えばいくらでも会えるのに、『会えない、会えない』と言い続けてる」とツッコミを入れ、「西野カナは会えないことに憧れてる」と分析。さらに西野がこれまでリリースしたシングル21曲のうち、失恋ソングは9曲で、うち6曲の歌詞が“会えない”という調査結果を提示し、「これおかしいんじゃないですか?圧倒的に会えてない」と主張した。

初めは「憧れてるわけじゃない」と否定していた西野だったが、データを目の当たりにすると「びっくり。自覚してなかった(笑)」と驚き、思わず照れ笑い。「地元の友達にも最近ネタにされるようになりました。『会いたくて震える』とか、ハートマークつけて(メールで)送られたりします」とも明かしていた。

 

私の大好きなタモリさんも「今の時代会おうと思えばいくらでも会えるのに、会えないと言い続けている」とツッコミを入れている。

 

とりあえず西野カナは2013年に「会えた」ようです。なので「西野カナちゃんはいつ会えるんだろうね?」と友達に言われたら「西野カナちゃんは2013年に会えてるよ。」がベストアンサーになります。

タモリ論

私は今興奮と感動と、言われの無い底無しの刹那の坩堝にいます。

樋口毅宏 タモリ論 読破。

 

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話題になっていた時は「タモリを語るなんて!」とタモリへの想いの分だけ反感が強く読むことを否定しました。しかしながら、タモリがいいとも終了を世間に発表したことを「玉音放送」と言った彼の言葉に深い深い共感を感じました。何よりタモリ本人が氏の書を拝したと知り、居てもたっても居られず、新宿アルタのすぐそばの紀伊国屋に駆け寄った次第です。

 

椎名林檎氏のスーパースターがイチロー選手であるように誰しにもスーパースターがいるとしたら、私のスーパースターはタモリです。改編になってからタモリの出演時間が減り、視聴率がどうのこうの言うYahooニュースに「タモリが出ないんだから当たり前じゃん!」といいともが評価されることはタモリが評価されることと同じ。でもタモリは出てない。なのにいいとも!の視聴率が下がる=タモリの株が下がってきた、的な捉え方の記事にウンザリし、そんな記事を見る度ヒルナンデス!の回し者ですか?なんなんですか?そんなこと言う貴方はいいとも!無くして生きていけるのですか?と疑問を呈してきました。

 

「最近タモリがいいとも!にでないよねぇ」だった期間は我々にお昼の象徴が居なくなる心の準備期間だったのだと思います。
その心の準備期間中私はお昼の重鎮が登場して心臓が縮むような感覚(タモリがオープニング曲の後に登場する瞬間毎回心臓がバクバクして緊張します。神聖な存在が降臨する感じ。。神、降臨!と心で掛け声さえかけています。今はもう観ることはないですが、あのチャッ、チャッチャッチャッ!の拍手を神への喝采と崇め、神降臨!キタwwwと超絶大興奮していました。)を感じ、脈拍が元に戻った頃、「タモリさんが出てないいいとも!なんてみたくない」とテレビを消したりしてました。

 

まさに、タモリ依存からの脱却の為のリハビリテーション
我々は確実に知らず知らずのうちにタモリによってタモリ離れを推進させられていたのです。

 

平日のお昼、CXch8ボタンひとつで見慣れたいつもの空気感にタイムスリップ。
「お昼休みはウキウキウォッチング!あっちこっち、そっちこっちそっちこっち、いいとも!〜♫」
そんな心の拠り所をお昼の儀式をイキナリ奪われたりしたら、私は太陽が疎ましく72日はお昼をお葬式のように過ごすと思う。

 

出来れば樋口氏の本をお手にとって購入して樋口氏が儲かって欲しいので、氏の言葉の引用はしませんが、彼同様私もタモリがいいとも!から解放されることを心の何処かで、ほっとしています。

 

私の中ではタモリは神ですが、タモリは神ではありません。
人なのです。

 

今とても大切なことと事実を書きましたが。タモリも人間なのです。

お昼の拘束から離れ、奥様と旅行にいったり、大好きな電車に乗って「10時にアルタ入り」という習慣とお昼の象徴というポジションとポテンシャルを脱ぎ去り心の赴くまま自由になって欲しいと心から願ってます。


※私はタモリが「10時にアルタ入り」することを知ってからどんなに寝不足だろうと10時には絶対起きなくてはいけないと思って生きてきました。「タモリさんはもうアルタ入りしてるのに、私はこんなところで何をしているんだ!起きろ、私!」(走れ、メロス調に是非読みましょう)と叱咤激励をします。


毎朝10時は神聖なる時を迎えるカウントダウンの始まりなのです。

タモリのことになると話が尽きないというか、物事全てをタモリ色にしてしまうspecを発揮してしまうので、書き足りなくまだまだタモリ愛を綴りたい所ですがこれ位にしておきます。

 

ここまで読んでくれた貴方!
きっとイイヤツ☆!

 

2013年の11月1日の今日そんなことを思っていたようです。

はてなブログは不倫に似ている

はてなブログをはじめて3週間くらいだろうか。

 

今私ははてなブログとは不倫なのではないか?と思い始めている。

 

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はてなブロガー達は

私と結婚する気はどうやらないらしい。

そして、これを読んでいる人も

私と結婚する気はどうやらないらしい。

 

そして私のこの想いは

婚活に敗れた乙女のよう、、

 

それなのにアクセス数という「本当は君が好きだよ。」という甘い囁き・もしくは幻想。そして完全なる妄想。に安心したり、不安になったりするショートコントを展開せねばならぬのだった。

 

思えば初めから結婚の意思など微塵も感じられなかった。私が勝手に舞い上がってそう、いつもの「愛されるより、愛したいマジで」精神ではてなブログを愛し続けたのだった。

 

身内に言われる。
ブログ面白いよ。けど、何ではてなブログなの?

それは

あなたって素敵だよ。なのに、なんで不倫なの?

 

と、言われているようだ。

 

あなたって素敵だよ、なのに、なんで不倫なの?そんな恋、応援(シェア)できないよ

 

と、言われているようだ。

 

 

思えば。私は学生時代から「いつか私は不倫するだろうな」と思っていた。

そして案の定20代前半に不倫をした。(マジ話)

あの頃の私は不倫がかっこいいことのように思えていた。

 

不倫をして私は知った。

 

「愛されるより愛したいなんて、嘘!私は愛されたい、マジで!な女!!!」

 

もう、はてなブログみたいな、自己陶酔でナルシストで自分のブログしかみてない変態、その上中途半端なアクセス数で私の気をひいたりして。なんて酷い男なの。私を愛してくれない男なんてこっちから捨ててやりたい。私は愛されるために生まれてきたのに、はてなブログのやろーふざけんな、という具合にはてなブログ社会に憤りを感じる。

 

そして完全なる実力主義はてなブログ社会に実力が及ばない自分の非力さを感じる。

 

「ふっ、お子ちゃまには不倫は早かったわね。」

謎の女の声までする。

 

そんなことを私に言っていいのは萬田久子ぐらいだぞ、と私は踵を返す。

 

学生時代に私を可愛がってくれたバイトの先輩小倉さんは私がバイトを辞める時「白くて大きくて沢山の人がいる道を歩みなさい」と私に言ってくれた。

 

なのに、何故私ははてなブログという

ブラックで人口が少なくて沢山の人が見てくれない、不倫のような恋をしたためているのだろう。

 

私は私のことを愛してくれて、私に高級ペットフードを与え、ヴィトンの鞄を買い与え、旅行に連れて行ってくれるような。そんな殿方が好きなのだ。

 

だからはてなブログみたいな男は嫌いだ。 

私に餌を与えてくれない男は嫌いだ。

私を構わない男も嫌いだ。

はてなブログはこれらの条件に全て当てはまる。

お付き合いを続ける理由はもうない。

そして本当は愛されたいのに不倫を続ける自分を大切にしない行為は本当に世にも奇妙な物語

 

このブログは世にも奇妙な物語。本当は愛されたい、マジでな女が愛されるよりも愛したい、マジで、なテンションで書き綴った伝記だ。もう3代先まで受け継がないといけない秘伝の味だ、ばかやろう。

 

 

「白くて大きくて沢山の人がいる道」

それはこの場合アメブロを指す。

 

アメブロのあのダサい感じが私は嫌いだ。

カテゴリーランキングがどうだとかデザインフォーマットもダサい。文章も書きづらい。もーあのごちゃごちゃした感じがマジでダサい。

 

けれど、それが白くて大きくて沢山の人がいるところ、ということなのだ。

 

ただ、デザインフォーマットがかっこいいとか書きやすいとか

文章書くのが好きな人がはてなブログで書いてるとか

もうそのテンションが不倫。

そのポテンシャルが不倫。

もうその理由が不倫。

 

 

ということで、わたくし、不倫の恋に幕を下ろしたいと思います。

 

ラブイズオーバー、オーヤンフィーフィー♪悲しいけれどー終わりにしようーキリがないからー♪

 

はてなブログを1年続ければ相当メンタルは、強くなるだろう。

けど私はそんなドMの心はいらない。

 

私は私を愛してくれる人が好きだわ。

私は私を大切に扱ってくれる人が好きだわ。

 

その為には私が私を扱わなければ

大切に扱われなどしないのだ。

 

 

花✳︎花のあの曲が流れる。 言わなくてもわかるあの曲だ。

 

さよなら、大好きなはてなブログ

さよなら、大好きなはてなブログ

 

ずっと大好きなはてなブログ

ずっとずっとずっと大好きなはてなブログ

 

 

 

おわり。   

 

 

追伸、えー面白かったのに、終わっちゃうのーって奴がいたらミンチにするからな。だったら初めから私を大切にしろ。

 

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 230日前私はこのようにはてなブログにレッテルを貼って逃亡したようです。今見ると面白いのでこの記事からまたはてなブログを始めることにしました。懲りないやつ。