unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

タモリ論

私は今興奮と感動と、言われの無い底無しの刹那の坩堝にいます。

樋口毅宏 タモリ論 読破。

 

f:id:tacotoma:20171101195647j:plain

 

話題になっていた時は「タモリを語るなんて!」とタモリへの想いの分だけ反感が強く読むことを否定しました。しかしながら、タモリがいいとも終了を世間に発表したことを「玉音放送」と言った彼の言葉に深い深い共感を感じました。何よりタモリ本人が氏の書を拝したと知り、居てもたっても居られず、新宿アルタのすぐそばの紀伊国屋に駆け寄った次第です。

 

椎名林檎氏のスーパースターがイチロー選手であるように誰しにもスーパースターがいるとしたら、私のスーパースターはタモリです。改編になってからタモリの出演時間が減り、視聴率がどうのこうの言うYahooニュースに「タモリが出ないんだから当たり前じゃん!」といいともが評価されることはタモリが評価されることと同じ。でもタモリは出てない。なのにいいとも!の視聴率が下がる=タモリの株が下がってきた、的な捉え方の記事にウンザリし、そんな記事を見る度ヒルナンデス!の回し者ですか?なんなんですか?そんなこと言う貴方はいいとも!無くして生きていけるのですか?と疑問を呈してきました。

 

「最近タモリがいいとも!にでないよねぇ」だった期間は我々にお昼の象徴が居なくなる心の準備期間だったのだと思います。
その心の準備期間中私はお昼の重鎮が登場して心臓が縮むような感覚(タモリがオープニング曲の後に登場する瞬間毎回心臓がバクバクして緊張します。神聖な存在が降臨する感じ。。神、降臨!と心で掛け声さえかけています。今はもう観ることはないですが、あのチャッ、チャッチャッチャッ!の拍手を神への喝采と崇め、神降臨!キタwwwと超絶大興奮していました。)を感じ、脈拍が元に戻った頃、「タモリさんが出てないいいとも!なんてみたくない」とテレビを消したりしてました。

 

まさに、タモリ依存からの脱却の為のリハビリテーション
我々は確実に知らず知らずのうちにタモリによってタモリ離れを推進させられていたのです。

 

平日のお昼、CXch8ボタンひとつで見慣れたいつもの空気感にタイムスリップ。
「お昼休みはウキウキウォッチング!あっちこっち、そっちこっちそっちこっち、いいとも!〜♫」
そんな心の拠り所をお昼の儀式をイキナリ奪われたりしたら、私は太陽が疎ましく72日はお昼をお葬式のように過ごすと思う。

 

出来れば樋口氏の本をお手にとって購入して樋口氏が儲かって欲しいので、氏の言葉の引用はしませんが、彼同様私もタモリがいいとも!から解放されることを心の何処かで、ほっとしています。

 

私の中ではタモリは神ですが、タモリは神ではありません。
人なのです。

 

今とても大切なことと事実を書きましたが。タモリも人間なのです。

お昼の拘束から離れ、奥様と旅行にいったり、大好きな電車に乗って「10時にアルタ入り」という習慣とお昼の象徴というポジションとポテンシャルを脱ぎ去り心の赴くまま自由になって欲しいと心から願ってます。


※私はタモリが「10時にアルタ入り」することを知ってからどんなに寝不足だろうと10時には絶対起きなくてはいけないと思って生きてきました。「タモリさんはもうアルタ入りしてるのに、私はこんなところで何をしているんだ!起きろ、私!」(走れ、メロス調に是非読みましょう)と叱咤激励をします。


毎朝10時は神聖なる時を迎えるカウントダウンの始まりなのです。

タモリのことになると話が尽きないというか、物事全てをタモリ色にしてしまうspecを発揮してしまうので、書き足りなくまだまだタモリ愛を綴りたい所ですがこれ位にしておきます。

 

ここまで読んでくれた貴方!
きっとイイヤツ☆!

 

2013年の11月1日の今日そんなことを思っていたようです。