unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

孤独という蜜

私は元来孤独な人間だ。

 

人は孤独に対して、どういうイメージがあるだろう。

どちらかというと淋しくて可哀想なイメージが世間ではあるのではないだろうか。

 

私は、自分の意のまま、思いのままに過ごせる孤独な時間を愛している。

 

 

現代人はいかに効率よく時間を過ごすのかが大切。

時間を無題にするなんて許されないのだろう。

 

カフェでスマホを見ないで、時間が過ぎていくのを楽しむってことを、多分現代っ子は忘れているので、そんな光景をみながら微睡んだりしている。

 

そんな私の日常は孤独に溢れている。

人混みの中で皆、目的地を持って歩いてることに感嘆としたり、花屋さんの寄って花の匂いを嗅いで、自宅用に花を買ったり。

一人都内の公園を散歩したり、美術館で作品を眺めながら泣きそうになったり、一人で映画を観てニヤニヤしながら帰ったり、二人暮らしの部屋で一人を感じたり。

知らない町で知らない道を一人で歩いてる時なんて、ワクワクドキドキだし

一人で外食して、座ったらすぐメニューを決めてオーダーし、出来上がるまで本を読みながら待ったりしている時なんて、無上の喜びで至福の時だと思っている。

 

 

ジムもジム友達なんて作ろうと思わない。

「次は何曜日にくるの?」なんて会話を更衣室で聞いたことがあるが、そうなったらジム友達を気にしながらジムに通わなければならない。

それってなんて苦痛なんだろう。

 

 

私のジムでの過ごし方は、脳内を空っぽにしながらトレーニングしたりプールの中を歩いたり、爆音で好きな音楽を聴きながらウオーキングしたり、ヨガの時間が合えばヨガに参加して、温泉に浸かって、体調がよければサウナも入って、お気に入りのボディークリームを塗って、パックしながらドライヤーをする。

ジムのスタッフにだけ「こんにちわ」と「さようなら」が言えればいい。

家までの帰り道一人で夜風に吹かれている時、最高に幸せを感じる。

 

 

本当に孤独な時間を過ごす時、そこに淋しさは存在しない。

ただ、ただ、崇高で澄んでいて、満ち足りていて、優しく穏やかな気持ちになる。

誰の力も借りず自立している清々しさ。

それって最高に幸せじゃないですか?

 

 

ショッピングはいつも一人。

むしろ、一人じゃないと買い物ができない。

自分の買い物に相手を付き合わせるということができないし、そんなの気を遣って仕方がない。「そんなの相手は気にしてないですよ。」っていう問題ではないのだ。でも、人の買い物に同行するのは好きだったりするから不思議だ。

 

 

一人で定期的に飲みに行く。気になる店があれば、サクッと一人で入る。

大将やマスターがいるようなお店が好きで、店主の雰囲気がお店の雰囲気でもあるので、それをツマミに飲んだりする。

たまに、飲み屋で本を読みながら飲んでいる人がいるけど、そういう人の横でしっぽり飲めた日には、贅沢な気持ちになる。

 

 

同様に、電車の中で本を読んでる人座っているとその人を自分の視野に置きたい。

「本を読んでる人」を見ると、安堵する。

自分の世界に入って、孤独を楽しんでいる人が私は大好きだ。

「そうそう、本当に心から楽しめる人と時間は共有していけばいい」と心が和む。

 

 

スマホに勤しむ人は知らない間にエネルギーを奪われているのに、それでも人と繋がっていたくてSNSをする。

スマホというただの機器が人間をどんどん孤独にするのに、淋しさに負けて「いいね!」が欲しくて、「いいね!」で繋がっていることを確認し合う。

リアクションがもらえなければ、無視されているのでは?とやきもきしたり。SNSを利用したことがある人が皆、感じたことがある気持ちだろう。

 

 

リアルな友人と繋がっていないアカウントは裏垢と呼ばれるが、その方が自分らしく、誰の目も気にせず、言いたいことを言える。寧ろ本垢ではないか。

私のツイッターアカウントは21歳に作ってから誰にも教えていない筋金入りの本垢であるため今後も誰にも知られず呟き続けるだろう。最高!

 

 

簡単に繋がれる分、どんどん不自由な世の中になってきているのではないか、とSNSを利用しながら自由なのに閉塞感を感じる。

 

それは人と繋がり過ぎてしまうことが原因かもしれない。

私生活を知らないで疎遠で居た方が長持ちする関係性というものがあるのに、常に確認し合うことで、どんどん疎遠になっていく。

 

食材を冷凍庫で凍らせた方が長持ちするのに、冷蔵庫で開けたり閉めたり、解凍を繰り返すのは食材を傷めているように感じる時がある。

 

昔は自殺の原因は自分への嫌悪感だったと思うが、今や人間関係が圧倒的理由になっている。正直、私は自分に関心を示してくれる人以外、どうでもいい。だから自殺することはないな、と思う。単純でよかった。

 

 

自分に関心を示してくれなくてヤキモキするなら気がつくように好意を示せばいい。

だから、私の人間関係は好意があるもの同士でしか循環しない。

likeとlike。loveとlove。

そしてその好意が返ってくるとは思って居ない。

 

 

 

 

孤独を推奨する一方で、友達と会っている時は、友達との時間をとことん楽しむ。

私が明るい人だと思っている人は、私の孤独っぷりをもしかしたら意外に思うかもしれないが、「孤独だからこそ、人は明るく振る舞える」のだと感じる。だから明石家さんまとマチャミって本当に孤独な人だなって好感。

 

 

孤独だからこそ、人と人との時間が特別な時間のように感じられる。

私には孤独な時間が必要だし、同じように友達から孤独を感じるときに、「この友情は長持ちする」と感じ、敬意を持つ。

 

淋しいからって淋しさを友情で消すなんて、たまったもんじゃない。そんなの友情でもなんでもない。「孤独」があるから、友情は長持ちするに違いない。

 

 

淋しさや不安を感じる時は、大体自分に甘い。

かく言う私も自分の甘さを感じる時がある。

 

自分が時間や寝食を忘れて打ち込めることをしていないときに感じるのが

「淋しさ」の正体。

 

まだまだ甘い、と思う時もあれば、孤独と舞ってる時もある。

それを繰り返していく。生きてる限り。 

 

 

孤独は真の自由な姿。

孤独は贅沢。

孤独と淋しさは別物。

素敵な人は皆、孤独。

 

そんなところかな。

 

f:id:tacotoma:20180511231051j:plain