unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

愛について考える週末

ただひたすら〝愛〟について書かれたとんでもない情報量に線引いてシール貼りたくなる愛についてのガイドブックを読了。


『人間がそれぞれ孤立した存在であることは知りながら、いまだ愛によって結ばれる事がない。ここから恥が生まれる。同時に、罪と不安もここから生まれる。』


なんだか確信的な部分が世界で初めて活字にされたような瞬間に立ち会った気持ちになった。そうね。だから人は〝一体感〟を欲する。


一体感を感じられれば孤独感から逃れる事ができる。人類は〝孤独感〟とずっと戦ってきた生命体。確かに何かと一体となっている時だけ私たちは孤独を感じない。


何故、人に会いたいか?

 私たちが孤独だからだ。

何故、人は誰かと生きようと願う?

 私たちが孤独だからだ。


どれだけ本、映画、音楽、ゲーム、SNSの世界と一体となっても終わりが訪れる。私は人に現実逃避だと思われても映画を観るし本や漫画を読むけど、何かと一体化するために人生はあるのではないかと思うほど人は何かと一体化したくて生まれてきたに違いないと思う。


それにしても〝他人の役に立たなければ我々は一生孤独〟というワンフレーズの破壊力ったらすごい。

 

仕事をしないで子どもを持たないでどれだけの人が〝他人の役に立っている〟と言えるだろう。世の中で寂しくてふわふわ漂っている大人達は他人の役に立ちたくて自らを持て余しているのだ。

 

自己愛から世界と繋がるという視点で私はヨガを思い浮かべた。

ヨガの瞑想は神(宗教めいた意味ではなく高度なエネルギーという意味)との一体感を感じる事であるし、自分の可能性を信じる事でもあり、自分自身との連携を高める時間で自己愛でもある。一体となるということを体で心で感じること。ヨガを始めて自分を取り戻す人が多いのはそういうことでそういう仕組みなのだと思う。


私自身もヨガの恩恵に預かっているけど、最初は誰かや何かに依存することなく自分を律したい、仕事以外に日々継続する何かが欲しいという事から始まった。

ヨガって〝繋がる〟って意味らしいんだけど、本当に繋がってしまうのが恐ろしい。自分が次に取り組むべき課題に誘導されていく。ただアーサナと呼吸法瞑想に日々取り組むだけなのに人間の脳の回路は繋がっていくのです。スピリチュアルではなくラジカルにエビデンスもあるのです。

 

自己愛-他者貢献。

両者は一体となっているので自己愛無くして他者貢献はあり得ない。自己愛を認めることができないと他人を愛することができない。

一体となるには衝動と覚悟と忍耐が必要でそれを育んでいかないと愛なんて生まれないんじゃないか。やっぱり愛するというのは技術。

 

コロナ禍で個が重んじられる時代で本当の仲間や仲良くなりたい人、どうしてもの用事以外はスルーできる世の中になったからこそ〝どうやって人と繋がるか〟〝何と一体となるか〟は万人のテーマになっている。


でもその答えは。

愛する事に尽きる。

 

いまだ愛によって結ばれる事がない。にも、関わらず。

 

 

愛について考える週末でした。

ごきげんよう。ちゃんちゃん。

 

 

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