unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

食肉

ヴィーガンになったりペスカタリアンになったりフレキシタリアンになったりしながらも薬膳マイスターを取得し、東洋医学に基づく漢方の考え方の影響を受けた現在の私は


妊娠したい女性や母乳を与えている産後の女性は特に肉を食べて良い、と考えている。


マクロビを実践していた知人が産後体が肉や魚を欲し、食べたらとても元気になったという話を聞いた事がある。これはつまり菜食主義に偏り血が足りなくなっていた体が肉と魚を食べることで血が補血された状態。西洋医学的にはタンパク質鉄分ビタミンB12が足りない状態と言える。

東洋医学では女性は血を補い、男性は気を補う事が大切と考えられている。女性は毎月の生理で血を体外に出す事からも血を補わなければならないのは理に適っている。


血が足りない状態を漢方では虚血という。そして、血が汚れ流れが悪くなった状態を瘀血という。

でも瘀血の状態でいくら血がサラサラになるからと言って玉ねぎを食べても血が足りていない状態では、実は意味がない。ドロドロに詰まった血管は結局血を増やして滞りを解消するのが一番手っ取り早くて効果的、ということを私は学んで実践して体で納得した。

 

【血を増やす】ということが女性の体と心の健康には不可欠なのだ。


【じゃあ肉や魚を食べないと血は増やせないの?】という疑問が湧く。

そんな事はない。

人参やプルーン、クコの実、ほうれん草、アボカド、ブロッコリー。これらの食材からも血を増やす事ができる。

ただ、代表的な食材として、赤味肉、豚肉、レバー、イワシ・サバなどの青魚、黒豆、卵、ウズラの卵。などがありこれらが有効な食材であることは中国何千年の歴史が証明している。

 


地球や動物のことを考えたら肉を食べるという事をやめたい、という理想が私にはある。その一方で体が本能的に肉や魚を欲する現実もある。私は肉の美味しさを知っているのだ。夏は焼肉とビールが絶対恋しくなる。


この矛盾をわたしは

ミートフリーマンデー

を設ける事で解消している。


矛盾だらけな私は今のところ、この方法で肉も魚も食している。


ミートフリーマンデーは肉を食べない日を設ける事。肉を食べない期間は肉を食べる罪悪感を払拭するために必要な時間であり、生きとし生きるものを頂く感謝と贖罪の儀式。


そんなに肉が嫌なら食べなければいいじゃんと思われると思うし、実際自分でもそう思う。でも体が欲する時は肉でも魚でも食べたいし外食も楽しみたい。だって私は現代人。焼き鳥屋さんが好き。餃子だってハンバーグだって好きなただの凡人なんだ。


そんな矛盾を『矛盾と共に生きれば良い』と心から思える様になり、やっと食肉問題をフラットな気持ちで考えられるようになった。


それは、この3年ミートフリーマンデーを続けてきたり、卵は平飼い卵しか買わないことを徹底したり、オーガニック野菜の定期購入、薬膳マイスターと漢方の養生指導師などの資格を取るするなどして知識を自分の味方にする事で、身体に判断を委ねる事ができるようになってきたからだと思う。


本当に何事も実践哲学と帰結する。


体の声を聞く、と言うとなんだか怪しくて語弊があるけど、体の声を聞くのってとっても楽しい。


昨日は忠実に体の声を聞いて、夫にだけリクエストのサムギョプサルをサニーレタス多めで提供し、私は春菊とツナの和物と人参のシリシリときび砂糖をかけたトマトで晩餐。


そうすると体が「不必要なものを摂らなくて幸せだ。ありがとう。」と言う。

必要な心身のメンテナンスをして焼肉を食べれば「お肉が食べれて幸せだ。ありがとう。」と体が言う。どっちも本当だから。


一方で動物達が虐殺されるように殺められ、人間に食べられるためにある命に対して、「ごめんなさい。」という気持ちを私は絶対忘れたくない。


いつだったか、一人でランチをしていたら、同じく一人ランチ中の男性が声に出して【いただきます】と、言った。

私はとても感動してしまったの。


私はいつからか恥ずかしながら「いただきます。」という言葉は作ってくれた人への敬意やマナーにすり替わっていた。本来は生き物への感謝だということを忘れていた。私はうるうるしながらホッケ定食を食べて一日中幸せだった。きっと彼に食べられたあのお魚は幸せだったと思う。

日本人は「いただきます」と「ご馳走様でした」という素晴らしい言葉をまず食べ物に対して言うべきなのに、お金を払った人へのお礼として使っている。これは本当に良くないとおもう。


私も彼のようにお肉やお魚に「あなたに食べてもらえて良かった。」と思ってもらえるような人になりたい。と心底思って惚れ惚れしてしまった。

実家で暮らしていた時から「いただきます」「ご馳走でした」を言う習慣が私はないのだけど、なんて素晴らしい言葉なんだろうと思う。真似したい。習慣にしたい。


私が感じていた違和感はきっと感謝と敬意と畏敬の念がぞんざいに扱われること。ごめんなさいとありがとうの気持ちでこれからも食と向き合っていく。


故に。ヴィーガンやマクロビを信念を持ち実践した時何か体の違和感を感じるなら、完璧に実践する必要なんてないと私は考えている。良い考え方ややり方を取り入れるだけで随分と地球にも動物にも自分にも優しくなれる。それで私は自分に合格点をあげることにした。


食べることは生きること、というくらいで生きることや死生観にも直結していく。

自分で作ったご飯に手を合わせて「いただきます」「ご馳走様でした」をしてみる。なんだか更に命の尊さと素晴らしさを感じて命はなんて素晴らしいのか、と自分の命に惚れ惚れした。


私は地球にも動物にも自分にも優しい人間である選択をした自分を重んじてあげたい。