unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が、本当にセッ クスの上手い人。

男は電マには勝てない。

女性がエクスタシーを感じるのは、技術ではないのだ。

 

いい映画を観た後は余韻が残るように、この作品は観終わった後「幸福なセッ クスをした後のような余韻」が残った。

 

主演、松坂桃李娼年

 

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男がヤリたいと思う女に遭遇するように、女だって、抱かれたいと思う男に時々遭遇する。松坂桃李演じる領は女性から見て「抱かれたい」と思う男だった。

 

「女なんてつまらないよ。」

 

そんなこと言う男に女は疼くだろう。

 

 

本当のセッ クスっていうのは、男性本位でするものではない。

 

女性の私が言うと門が立つかもしれないが、

女性が満足してナンボのセッ クスができる人が本当にセッ クスの上手い男性だ。

 

 

体中の毛穴という毛穴からフェロモンを出して、その視線、その体、その翳りで、体の全てを潤ませた女性に「今すぐ、したいな。」と言わせて欲しい。

 

本当にセッ  クスのうまい男は女に「したい。」と言わせる。そこからもう、前戯は始まってる。

 

 

 

女性は数を重ねるために、体を重ねたいんじゃない。

若い時はそれがわからないけど、セッ  クスして、「女」から「女性」に成って、数を重ねると分かるようになる。

体の快楽よりも、違うことを求めていることに。

 

 

 

女性は、全て、脱ぎたい。

服だけじゃなくて、心も脱がして欲しい。

肉体の触れ合いで、心を開きたい。

 

だから、心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

インスタントな行為に癒されるときもある。

でもインスタントな行為と承知の上で、情事に及ぶ。

 

ヤったからって本気になったりしない。

でも。本気になっても大丈夫な男としか寝たくない。

 

「都合の良い女」ではなく、「都合よくちん  こを借りる。」それがワンナイト・ラブ。

それすらも、自分が欲情しないと出来ないのだけど。

 

 

 

 

プラトニックなセックスを重ねても、心は潤まない。

そして矛盾するようだが、本当に幸福なセッ クスをすると涙が出たりする。

 

 

愛液は体の涙のようなもので反応すれば濡れるけど、眼から溢れる涙は本当に感じないと出ない。

それが幸福の涙なのか、虚しさの涙なのかは、相手とのセッ  クスによる。

 

 

だから、女性は相手を診る。

心が脱げる男性かどうかを、診る。

 

 

 

「生身」という鮮度の良い、溶けるような幸福感の中には、全ての快楽が含まれている。

 

女性にとってのセッ クスは最高の癒しであり、癒しあう行為なのかもしれない。

性欲(制欲)を満たしたいなら、オナニーをすればいい。だけど、それでは絶対に満たされない。

 

だから、心を満たすことができる男性を本能的に察知する。

 

自己処理ではなくて、他人の体と一緒に裸で快楽や羞恥心を時に堪能し、時に貪るということは言葉を超えて、逝く。

 

 

女として生まれて、男性に女性として必要とされる悦びは、自身の存在意義にも繋がる。

 

 

 「悦んで、逝きたい。」

それが女性の本音なのではないだろうか。

 

 

 そして、心を脱がしてくれたこの映画に乾杯。帰り道に「娼年、いないかな?」と思いながら帰ったのは言うまでもない。