unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

栗城さん。

栗城さん。

 

栗城さんとは同郷で
『彼、栗城くん。山登ってるんだ。』
と知人に紹介して頂いたことがありました。

 

その時私は20歳で栗城さんが登山家だということも知らなかった。「イケメンの登山家っているんだ〜」とミーハー心から恋でも始まりそうな。実際には何も始まらなかったし、お会いしたのもそれっきりだったけど『栗城 史多』って登山家がいる。って事はその時インプットされた。

 

その後は、たまに活動を拝見していた。

 

栗城さんの挑戦している姿を見る度に、安心した。『いい意味で変わらない栗城さん。』を見る度に。

 

一度会って話をしただけなんだけど、私の中に栗城さん残ってるんだよね。


訃報を知った時、『下山はいつも成功してたのに。下山ができたら登頂なんかできなくても、よかったのに。』って正直思った。

生きていて欲しくて。

 

同時に下山し続ける事ができるって奇跡みたいなことだったんだなって。

何度もその奇跡を叶えてきたじゃん、、って。思った。

 

エベレスト登頂できなくても、栗城さんだからこそ、なし得たことがあったんだよ。

 

 

栗城さんのことを登山家として無謀とか三流とか叩く人がいる。
でもそう言う人は命を賭けて挑戦できる何かはあるのだろうか。

もし自分が挑戦中であることを自覚するなら、、人の生き方に干渉できないんじゃないかな。


プレイヤーを叩くのは、
プレイヤーじゃない傍観者だから。

 

 

私は彼が無謀だクレイジーだと叩くのではなく『彼はクレイジーだけど、だから栗城 史多だったよね』と彼を偲べる人と悲しみを分かち合いたいと思う。

 

酸素ボンベ持ってかないで
エベレスト行っちゃう栗城さんは確かにクレイジーだし、毎回難しいコースを選んじゃう栗城さんクレイジーだよ。


9本指無くて単独登山で一番厳しいコースってなんだよ、、本当クレイジーだよ。


でも、『誰もなし得なかったことをする』のが彼の美徳でスタイルだった。栗城さんは栗城さんの人生を全うしたのだと思う。

 

夢物語ではなく、体験談を語る栗城さんに励まされた方は多かったのではないでしょうか。

 

20歳の時デザイナーを夢見てた私も、その内の一人です。
夢の傍観者ではなく、夢の道中を行く人で在りたいと思えました。


私の中に栗城さんが残っているように、きっと多くの人の記憶に残り続ける。

 


栗城さん、ありがとう。

 

 
私も私の命を全うしよう。

誰と比べるわけでもなく、

私の命を全うしよう。


そう思わせてくれる栗城さん、ありがとう。

 

 

誰もなし得なかったことをして

今エベレストより高いところにいる栗城さんへ。

 

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