unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

人にどう評価されようが、自分を生きる事を諦めない。

三流の美大に合格して粘度をこねくり回したり、油絵を描いたりする日々の中で【アーティスト・表現者】と呼ばれる行為に限界を感じ【クリエイター】という道に転向した。それは私にとって居心地が良く「見つけた!」と思える唯一無二の職業だった。

 

【アーティスト・表現者】と呼ばれる全ての人達の中でも結果(経済的自立・社会的貢献度・技能)が伴わず、「これが俺たちのやりたい事だぜ!!」と自己満足に陶酔する世捨て人に20歳の私はなりたくなかった。

【クリエイター】はお客様の作りたいものを作る仕事だ。お客様の夢を応援する仕事だ。お客様からお金を頂き、お客様の変わりに物づくりをする仕事だ。10年以上続けても「この仕事なら自慰ではなく、自分の得意な事で人の役に立てる。自分自身も喜びを感じ、お金ももらえる。こんな素晴らしい事はない。」と思える。でもね、思う事は沢山ある。

 

自分ではなくお客様の作りたいものを作っていると、時々自分を見失う。この仕事をしていると何かを広告する仕事や誰かとJoinする事が常。水ものの広告の表面を次から次へとコーティングし、価値のあるものに変容させなくてはいけない。でもプロだからそれをする。

 

「我」ではなく「共存」を常に選ぶ時、自分の中にあるアーティスティックさは滲み出るものだから誰かと共存を目指すくらいで丁度良い。と考えられるある種のドライさがクリエイターには必要なのだ。

 

他人が喜んでくれるものを作れて一人前で自分が喜ぶものを作ってお金をもらうなんてナンセンス。その葛藤はクリエイターの一端なる者全てが通る道で、全クリエイターは優れたアーティストのように血肉を晒し人々に良い影響を与える仕事が出来ることをどこかで願っている。

 

誰かや何かをブランディングする仕事をしている人は、自分をブランディングするのがとても不得手なのかもしれない。

それは誰かや何かのためにそのスペックを使う事は良しとしても〝自分のために〟となるとそれは途端に承認欲求に変わり、虫唾が走るくらい恥ずかしい行為に変貌するからだ。

 

 

ずっと心に残っていた事がある。いつかの夏。知人の芝居を観に行った。彼は結婚して妻子がいたけど、どうしても役者の夢が捨てきれなくて妻子とではなく夢と生きる事を選んだそうだ。そんな彼の芝居に興味が湧いて観に行った。

すると途中から車酔いしたような感覚になってしまった。失礼だから我慢して観たけれど、ようやっと幕が閉じると私は挨拶もせずに劇場を後にした。「どうだった?」と聞かれて「良かったです。」とは絶対答えてあげられなかったから。

 

内容が薄い割に台詞が多かった。コメディーなのに全く笑えず、一度も私は笑わなかった。笑わせようとしてくる種類の笑い。台詞を一生懸命聞いたり、踊りを見ることに集中する余り、私は〝何かを感じ取る余白〟を失ってしまった。

あんなに何も残らないエンターテインメントは初めてだった。でもハッキリ分かってしまった。舞台に立ってる彼は役ではなくて〝彼のまま〟だった。演じる人はそれではダメだって事。第一線を走る人とそうじゃない人の違い……

そんな残酷な感想ばかりが湧いてきて、アーティストを生業にし、人からお金を頂く難しさを痛感した。

 

今度彼に会ったら私はどういう顔をすればいいんだろうとあの時思った。時間が経った今でもあの舞台そのものに「良かったよ。」って優しい嘘はつけない。大人気のない大人になりたくないのに。本当は「よかったよ!私には届いたよ!」って言ってあげたいのに。

 

幼い時から私はこの【アーティスト問題】を心の片隅に置いて、ずっと考え続けてきたのかもしれない。

 

ナンバーガール向井秀徳はライブのMCでこう言った。

「売れる売れない関係なく、格好のよろしい音楽を作れたら万々歳」

それができたら、観客は歓喜する。

それがアーティストでロックだ。

 

だからアーティストは芸を追求していくことしか究極、できない。実は至極シビアで至極結果主義な世界。でも間違いなく、売れる売れない関係なく何か人に届けたくて舞台に立っている人は多くいる。

それが人に届くか届かないという違いがあるだけなのだが、明確にアーティストとアーティストもどきは雲泥の差がある。

 

AKB48高橋みなみは言った。

人生というのはね、きっと「矛盾と闘うもの」なんだと思います。色々思うことがあると思う。でも、頑張らなきゃいけない時っていうのがある。頑張らなきゃいけない時っていうのは、一瞬ではないということを、みんなに覚えておいてほしいなと思います。

272人、今回立候補しました。呼ばれたのは80人でした。呼ばれなかったメンバーは、では頑張っていなかったのか。

違います。みんな頑張っています。

劇場公演に立ち続け、学業を両立して頑張って、自分のやらなきゃいけないことと一緒に頑張っているんです。

でも、ここに立てるのは80人なんです。

だからきっと、AKBグループにいればいるほど、頑張り方がわからなくなると思います。

どう頑張ったら選抜に入れるのか。

どう頑張ったらテレビに出れるのか。

どう頑張ったら人気がでるのか。

みんな悩むと思うんです。

でもね、未来は今なんです。今を頑張らないと、未来はないということ。

頑張り続ける事が難しいことだってすごくわかってます。

でも、頑張らないと始まらないんだってことをみんなには忘れないで欲しいんです。

私は毎年、「努力は必ず報われると、私、高橋みなみは、人生を持って証明します」と言ってきました。

「努力は必ず報われるとは限らない。」そんなの分かってます。でもね、私は思います。

頑張っている人が報われて欲しい。

みんな目標があると思うし夢があると思うんだけど、その頑張りがいつ報われるとかいつ評価されるのかとか分からないんだよ。

分からない道を歩き続けなきゃいけないの。

きついけどさ、誰も見ていないとか思わないで欲しいんです。

絶対ね、ファンの人は見ててくれる。

これだけは、私はAKB人生で一番言い切れることです。だから、諦めないでね。

 

 

アーティスト批判をすると自分の中にあるアーティストへの敬意と良心から、その言葉はまるまんま自分に返ってくる。

 

だって、表舞台に立ってない人はいくらでも好き勝手簡単に言える。それがプレイヤーと非プレイヤーの違い。努力して評価されるのが当たり前の世界で生きようとする人に対して、その生き方そのものを見守れる器が欲しい。だってどれだけ難しい事をしようとしているのか分かるから。

 

人にどう評価されようが、自分を生きる事を諦めない。その生き様を私はあの夏拝見し、受領した。今の私なら彼にきっとこう声をかける。

 

「私もね、物作りが好きなんです。私も人に〝何か〟届ける仕事がしたくてやってきました。あなたも大変ですね。でもあなたの芝居をみて私も頑張ろうって思いました。良いもの観させてもらってありがとうございます。」

 

私には届いたからね。

人にどう評価されようが、自分を生きる事を諦めない。