unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

立春

普段私たちが使ってるカレンダー所謂は西洋文化に合わせて導入された「新暦」と呼ばれるものですが 自然の運気の流れは、古くから日本人が使ってきた、太陰太陽暦(旧暦)に沿って動いていています。旧暦においては、2月4日の「立春」こそが 本当の年明けにあたります。

 

お正月の年賀状に「迎春」と書かれているのは旧暦の名残で、そう考えると海外のお正月のように気合入れすぎずにぬくぬくと家で親族や友人と集まって「だってまだ冬だもん。」って顔と態度で過ごす日本の年越しは旧暦に沿った過ごし方と言えるのだと思います。

 

昨日2月4日新春。成田山新勝寺に初詣に行って参りました。

2019年あけおめ!!!!!!

 

連れが「2/4は!?」と言うのでそれに便乗したのですが、結果的にとても良い相乗効果でした。何故なら立春は「今年一年をどう過ごすか。」という目標を定めるのに適した日だからです。

 

今年大厄ということもあって1月下旬にお祓いに行き(厄払いは節分までに氏神様の元でというのが厄除けのセオリーのようです。)神社のお祓いってこんな感じなのかぁと知って、立春に「今年一年をどう過ごすか。」ということを護摩焚きの日を眺める。

 

我ながらスピリチュアルなことを大切にしている人だなぁと自分で自分のことを思いますが、人間は本来きっと精神性の高い生き物なのです。ただし、現実性や合理性を持たずに根無し草でスピリチュアルなことばっかりやったり言ってる人は、お願いの叶う壺を買うことになるので、ふわふわしながらスピリチュアルには手をつけない方が賢明です。

 

 

昔から焚き火が好きなのですが、護摩焚きっていいなぁと思いました。

 

平安時代の古来もこうやって人の煩悩を払い決意を新たにしてきた。ということは大昔から人は悩み、決意し、悩み、決意し、、、を重ねて生きている証拠。

私たちはこれからも悩むし決意し続けて生きていくということ。

その迷いを払ったり清めたりする場が昔からあるから、今日私はここにいることができう。そして、また都内に帰って自分の使命を果たしていく。

未来永劫というわけではないけど、この場所は私が死んだ後も人の悩みや迷いと向き合う機会をくれる場所として残っていくだろう。だから私がご祈祷料として払った五千円が少しでもこの寺の存続に役立てるのならそれは良い事だ。

 

とぼんやり俯瞰するように感じておりました。

 

 

お金を払ってご祈祷して頂くということを私はしてもらったことがなく、一月二月と厄除けとご祈祷をして頂きましたが、「人間自分のことは自分で拝む」というのが大切なんじゃないかと改めて思いました。

 

誰かに祈って頂けることは有難いことなんだけど、自分の願いや想いを人任せにするのはよくないですね。その場だけの祈りにならないようにするために日々精進しなくてはいけない。

 

自分の使命を果たすために、どういう気持ちや思いで行動していけるか。

大切な事って本当はこれだけなんだよね。

 

でも多くの人は(私も含まれます)

使命を果たさないと!多くの人の役に立たないと!って

頭でっかちになりやすいのだと思います。

 

本当に大切なことは誰かに教えられるものではなく自分で見つけなくてはいけないし、自分が何をどんな思いで続けていこうと生きたか、というのが生き方で生き様として人の目に残るもの。

 

 

私は中途半端な自分を沢山集めて、こねくり回さずに一つ一つ片をつけるってことを引き続きやっていこうかなぁと。

 

 

 

たまにはご祈祷料を払って見るのもいいね。

大厄よ、ありがとう。精進します。