unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

パラサイト 半地下家族

新年明けましたね。

寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょう。

 

昨日パラサイト〜半地下家族〜が地上波で放送され、私は映画館で2度観ましたが、書いていて止まらなくなったので映画パラサイトを通して感じた事などを。※きっと観てない人が観ても何のこっちゃ分からないネタバレをしますw


韓国の痛烈な格差社会を風刺した今作。

一度半地下で産まれたら一生半地下暮らし。良い学校も行けない良い生活もできないまともな仕事にもつけない。体に染みつく匂いや考え方全て格上の種族とは異なる。

それを「刺した」映画だと私は感じました。


半地下の人達は格上種族が「あの人たちはアレが普通。どうしようも分かり合えない。」と知っているところに悲しみと怒りがある。

恵まれている人には恵まれている苦労があるけど、半地下の人達と比べてしまうと「それが苦労とでも?」ってかんじ。


その絶対に共有できない「ボーダーライン」をめちゃくちゃ撮り方で表している。


・シーン毎で格上の立場の人が階段の上にいたり、地下にいたり、テーブルの下にいたり。

・格下の半地下家族が金持ち家族を騙す時「上」にいて、格上家族が騙される時は階段の「下」から上がってきたり。

・縦横の構図で間に線が、自然と引かれていたり。


別々の種族だという撮り方の徹底。めちゃくちゃ考えられていて無意味なコマ割りが一切ない。 

「マウント」に上下で翻弄され「ボーダーライン」で左右で翻弄される。

そのマウントとボーダーラインは観れる人にしか分からないようになっているけど、それが分からなくても物語として成立させるストーリーの面白さ。


映画館で見終わって、感想を述べ合っている人の会話で「コメディだよ。」という声が聞こえてきたのですが、なんでしょう。すごい質の良いコメディーだと思います。

私はバラエティーTVショーで「ネタ」を繰り広げるお笑いは面白いと感じる事が少ないのですが、この映画はめちゃくちゃ面白かったです。「面白い!面白い!」とスクリーンに釘付けになりました。


洪水のシーンは上から下に水が流れる、というのは重量が存在する限り絶対の「不可抵抗」を「重量」で表すってこの監督すごいわ…と思ったし、トイレが逆噴射してる時のあの長女の喫煙シーンはそういう「不条理」に対して無言で煙草を吸うという「無言のファック」を「煙草」で表すの最高すぎでしょってかんじで。映画史に残る名シーンと多くの人があのシーンに感じたと思うけど、格上の人達は煙草なんて吸わないしあんな生活があるということも知らない。「知らない。」んですよね。


ハゲのおじちゃんが地下から電球でモールス信号送ってるに気がつかない格上種族も「気づかない(知らない)」のが本当のリアルだし。嘘のような現実の中にリアルしかないんです。大袈裟にならないように「普通に」表現するっていうのが素晴らしかった。


あと日本映画は画角、スクリーン全部で伝えきれていないなと思いました。「動いてる役者」にしか重きが置かれていない。韓国映画はこんなにスクリーン全部で伝えてくるのか、とここでも「差」を感じてしまいました。


あの串刺しになっていた肉は動物の家畜の肉なわけだけど、半地下の人の肉も命の尊厳的には社会的にみると家畜の肉程度で本来あの串に刺さるべきは半地下側の人間で金持ちイケメンパパではない。あのシーンは社会的家畜の反乱であり、上流階級への皮肉なのではないかと思ったり。


上から下に行くのは簡単。

上中下。確実に存在するカースト。 

理想論の通じない社会。

半地下にしてみれば上が堕ちたって半地下。

でも自分が上にいる時ってそれが幸せな事だとは気がつかない。「知らない。」んですよね。堕ちてみないと人間は理解できない。


半地下パパが体育館で「プランは変わるから初めからプランを持たない。それがプランだ。」みたいな事を言ったんですけど、自分の意思で「持たない」のではなく「持てない。」んですよね。それは結構あの石のようにずっしりと重たいシーンでした。


あの洪水のように成るように上から下へ左から右へ流されて生きていくしかない。夢も持てない。現実を変える計画も持ち合わせていない。何のために生きるのかという問いも持たない。でもだからこそ強くいられる。生命力とは本当はこういうことなんじゃない?なんて思ったりして。


観るシーン全部に意味があるのではないかと思考が巡るし、実際考えられているから無駄がなく自然に撮られていることに感動。


映画という表現を通して人々に気付きを与える芸術。これが世界的に認められて評価されたということは多くの人に何かを感じさせたということの証明で意義が深い。素晴らしいものを素晴らしいと思える人間の感性は世界共通ということに賞レースに初めて意義を観た。

 


私のこの映画の学びは

豊かな人は「豊かなのに無知」

なのだということ。

貧しい人は貧しいのに

「知っている」ということ。


この差は本当は大きい。学歴社会だから格上の人達は学んでいる。毎日勉強を頑張っている。でも本当の意味で「何を知っているの?」そんな事を思ってしまいました。


色々「思ってしまった…」なぁ。


あとこの映画は字幕で観るべき。韓国映画の独特の雰囲気のある感じが日本語じゃ伝わらないし家政婦のおばちゃんの北朝鮮語は日本語じゃ面白さが伝わらない。


これから観る方は字幕がオススメです。

 

私は歌舞伎町で観たのですが、その帰り道の靖国通り明治通りは考えさせられてしまいました。見えないボーダーラインとマウントに溢れている東京で息している次第です。