unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

ロマンティスト。だからこそ、リアリスト。

最近自覚した事がある。それは【私はとてもロマンティストなのかもしれない】という事。【ロマンティストだからこそ現実と対峙し自分のロマンを実現させるために日々健闘しているのではないか説】が浮上中。

 

まだ仮説だけど、とても信憑性が高い説だ。

乙女だった頃は理想と現実の間で揺れて【Aが欲しいけどAのここが嫌い。Bはここがいいけど、そうするためには〜しなくてはならない。】みたいに物事と人の表裏一体を受容する事に時間と労力を費やしていたが、大人になった今は【全て丸ごと受け入れる。全ては表裏一体。良い所取りしようなんて思わない。】と、現実に根を下ろし、夢とロマンを叶えるために必要な事をして生きている実感がある。

 

物事を実現するには過程が必要不可欠。リアルを知らないから隣の芝は青く見える事を嫌と言うほど知っている大人になった現実の世界を生きる33歳の私は本を読むためだけに立ち寄ったカフェで、ぼーーっとホットティーを飲みながらそんな事を思った。

 

………「なるほど。」と自分で気づいて自分で納得してしまった。【私は現実主義ではなく、ロマンティスト。そのロマンを叶えたいから必要だと思うことをしている。】

 

………そうだ。そうだと本当に思う。世の中的にはロマンティストというのは現実的である事の対義語で地に足がつかずフワフワしている人だと思う(と、私は思っている)が、私は夢やロマンがないと生きていくのが難しい、とすら感じる。

 

夢やロマン。即ち、それは「目標」や「美学」という言葉で置き換える事ができるだろうか。目標や美学は私にとっての物事のバロメーターのようなもので重大な判断基準。人によっては目標を持たず機転を聞かせて柔軟に対応するほうが良さを発揮できるタイプもいるだろうけど、私はどうも目標なくフワフワと根無草のように生きるのが肌に合わない。という事が大人になるにつれてよく分かるようになった。

 

「私、こうする!!!!」と決断したら、そのために必要だと自分が感じる事をすれば良いだけだ。私は揺れるのが好きではない。理由は一択。疲れるから。

 

例えば、友達と会う場合はサッサと予定を組んでしまいたい。「とりあえずこの日にしておいてダメだったらやめよう。」みたいな約束は必要ない。だったらいつ何日に会おうみたいな具体的な約束しなくて良い。形式的な約束は無意味だと思ってしまうのだ。

この事を少し説明してみたい。

若い時はいつでも暇だった。でも大人になるとそうは行かない。だからこそ、各々の予定を伺い予定を組んで大人は人と会食する。

約束をしないで「今、暇?暇だったら会おうよ。」そうできる関係をマブダチと呼ぶのだと思う。マブダチ最高である。だが例えマブダチであっても、家庭を持ったり仕事があったりみんな色々忙しい事を理解しているから、約束をして大人は人と会うのだ。

「約束なんかに縛られたくもないし、縛りたくもない。だから、ふわっとみんなが予定合ったら会おうよ。」そんな事を言われたら、ロマンティストだねぇえ。と思ってしまう。きっとそれだと永遠に会えない事をロマンティストだからこそリアリストの私は知っているから。

 

みんな当たり前に日常がある。何かの責任を負いながら生きるのが大人。だからこそ、息を抜いて非日常で日常について語り合う場が必要なのだ。生き抜く事は息抜く事。それを知っているから大人は日時を決め、美味しい料理に舌鼓し、談笑を楽しみ、時間が来たらまたそれぞれの日常に帰っていく。その事がどうしようもなく切なく寂しい時もある。でも花火のように儚いその時間はとても素敵だとも思うのだ。

 

約束ほど相手を尊重し個と個を認め合った理に適った契約は存在しないと思う。勿論、絶対なんてこの世には存在しないから絶対に守れる約束なんか無い。それを理解している大人同士の約束は最高だ。互いの尊重と同じ時間を共に過ごしたいという敬意だけがそこにはある。

 

反対に【リアリスト。だからこそ、ロマンティスト】を想像してみる。私は先にロマンがあってそのロマンを叶えるために現実的になるけど、言葉を置き換えると【先に現実があってその現実を叶えるためにロマンをみる。】

………(?????)

 

私なりに翻訳を試みる。

【現実は嫌と言うほど知っている。私は大人だ。そんな現実で生きていくにはロマンが必要だ】

………(これならしっくりくる…!!)

 

なるほど。【パッと見が現実的な人ほど、ロマンティスト】【パッと見がロマンティストな人ほどリアリスト】そういうトリックか。

 

ロマンティストが現実で「目標」や「美学」を実現させるためにリアルを生きているのに対し、リアリストはこんな現実でも信じられるロマンを夢みているのかもしれない。その様がロマンティストに人には映るのかもしれない。

「こんな現実だからみんなが一緒にみられる夢があったらいいよね。現実は絶対なんかないから。」

だからこの世の絶対的真理みたいなものを見つけたくて夢をみるのかもしれない。泣けるぜ、リアリスト。………いや、あんたら絶対ロマンティストやろ、そらロマンティストに見えるやろ。突っ込まずにはいられない。

 

そしてそして多分。メビウスの輪のようにリアリストはロマンティストに、ロマンティストはリアリストとして生きることになるのだと思う。今回語ったのはどっちの「種」を持って生まれてきたのかという「違い」の話。

【ロマンティストの種:夢を叶えたいなら現実を知ろ。そして実行しろ。】

【リアリストの種:現実を知っているからこそ大志を抱け。そして諦めるな。】

 

という所だろうか。前者は白から黒にグラデーションがかかっていき、後者は黒から白にグラデーションがかかっていく。きっとハッキリと白や黒に色が変わる瞬間は限りなく少なくて、いつもグレーゾーンを我々は生きている。ロマンティストは現実的に、リアリストは夢想的にグレーゾーンを。どちらが優れているかなんて優劣は存在しない。私たちは互いに違いを教え合う鏡なだけ。

 

季節は夏のど真ん中からまた違う季節へ色を変える。気がついたらまた「今年も早かったね。」なんてお決まりの台詞を言うのだろう。その過程でいくつ約束を交わすか分からないけど、ロマンティストだからこそ現実的な私は実現可能な約束をして「私たち大人になれなかった大人だよね。でもしっかり大人だよね。」って笑い合う。そこには違いは存在しない。私は全ての大人が愛おしいと感じる。