2021.1.29 金 向上心不要説
向上心とは。あーしたい、こーしたい、こーなりたい。「もっと〇〇になりたい!」前向きな気持ちの現れ。良い事のように思えるけど、常に欲求不満で満足出来ていない事の現れのようにも思えて。向上心を持たず現状に満足できている人も居るのに「それでいいの?」と思ってしまったり。噛み砕けば噛み砕くほど向上心不要説が浮上するのです。
向上心なんてなければ人として成長したいなんて思わずに生きている事に意味を求めず考えず生きていけそう。でもそんな人生、嫌だなぁ。何か他にしっくりくる言葉はないかしら?そんな事を思いながら生活を営んでいましたら
「向上心じゃなくて好奇心じゃない?」
と自分に言われた気がして。それはどこまでも自由で伸びやかな可能性のある言葉のように感じられて単純な私は一瞬で、それだ!!と晴れやかな気持ちになりました。
きっと憧れの猫様だって好奇心を持って食器棚に登ったり、家の中の知らない場所を探検したり、「こんな事したらどーなっちゃうわけ?」って好奇心を持って生活はしているはず。
私が向上心だと履き違えていた事柄は全て好奇心だった。納得し、深く受領。
旅行好きも英語が喋れるようになりたいことも漢方やヨガの知識を身につけたい事も、本を読みたいのも、映画を観たいのも、全部好奇心。私は好奇心を原動力に生きている。
知らない事が知りたい。
出来ない事が出来るようになったら楽しい。
頭が良くなりたい訳ではない。
その状況に身を置いてる事が至福。
なーーんだ。私が向上心だと思っていたものはただの好奇心だったんだ。向上心なんて高尚なものではなかったと胸を撫で下ろしました。
よく「何を目指してるの?」と聞かれたりするんです。その度に「ん?」と返答に困っていたのですが。好奇心。好奇心ですね。完全に。今度からそう答えよう。
向上心不要説。
私にとって有力で有効な説。
人として成長したいとか、真っ当な人間で在りたいとか、逆に向上心なんか微塵もない人間だった。最低だけど最高。
ラクをするのではなく楽しむ。
そしてゴロゴロする。
楽しまずにラクをしてしまった時は罪悪感。
でもその罪悪感を感じないと楽しむのではなくラクをしようとするから、丁寧に感じる必要がある。
好奇心を簡潔に現すとワクワクでしょうか。
私はワクワクしながらゴロゴロしたいし、ワクワクしながらゴロゴロしている。
自分が大切にしてきたものが向上心じゃなくて好奇心だって気づいただけなのに、憧れの猫様のように充分暮らしてる事に気づく。知るを足る。色々な事が腑に落ちる静かな真夜中。
写真は先日の新宿の空。
白い月が青空に浮かんでいてなんだかとても綺麗でした。