unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

2021.1.21 木 ボーイズラブ通称BLを読んでみた

以前から男という生き物が生物上女より美しい事は知っていた。大体の女は化粧をして化けないと素顔に華がないけど男は常にスッピン。マスカラしてビューラーして睫毛を傷めているからなのかもしれないけど男性のほうが睫毛多くて長い。孔雀が求愛行動をする時はオスが羽根を広げてメスを誘惑するんだっけ。雅やかな羽根のほうがメスだと思っていたのにメスにはTHE孔雀って感じのあの羽はない事をマレーシアの動物園で知った。BL漫画の中の男性達も皆あの動物園の孔雀のようだったな。まぁ実際は美しい孔雀ばかりではなく。だからこそBLという美しい者同士の想像上のお戯れがあるのだろう。

 

私は女王蜂のアヴちゃんとはらだ先生のコラボ作品が読みたくて即ポチって分厚い広辞苑のようなコミックが届いてから「BL特集!?」と心で叫んで知って驚いたくらい無知な注文をしたのだった。

 

目的のはらだ先生の読み切り以降の作品もとりあえず読んでみたけど、ヤル事しか考えてない作品達のオンパレードで全作品コンプリートできませんでした。はらだ先生の作品だけが他のものと全く異質でした。まぁアヴちゃんと作り込んだキャラクターと世界観だから当然ですね。

 

ネタバレ一切したくないのではらだ先生とアヴちゃんの作品については一切書きません。気になる人はポチってね!広辞苑の厚さのBL漫画特集が届くので家族に開けられないように気をつけてね!!表紙が素晴らしいから気づかれないとは思うけど!!!私は夫に「何これ。」と開封されましたがお互いスルーです!!!!大丈夫、わたしは元気です!!!!!

 

 

異性愛とか同性愛とか。無くなれば良い言葉だと思いつつその言葉を使えば伝えやすいという安直さに思考が絡め取られて同性愛という言葉を使う自分がいる。異性愛が通常とみなされるのは繁殖し人類が繁栄するための必要な価値観だろう。でも性的欲望は本能。子どもが作れない同士の性であっても性は性。

 

やはり同性愛者という言葉がナンセンス。気持ちは何処までもイノセンスでピュアなものなのに。

 

昔新宿2丁目の住人が「昔は彼女いたんだけど。無理なのよ。ヤレなくて。それで別れちゃって。」と言っていた。その場にいたお店の方たちはみんな通る道よね。という顔で頷きあっていた。その時、下心と書いて恋、という言葉を思い出した。恋愛には性がつきまとう。

 

いやいや、生きていく事に性がつきまとう。男らしく女らしくというのはある種呪いであるけれど、男らしく女らしくできないのも呪いではないか。こんな当たり前のことを素通りして20数年生きてきたのかと自分の井の中の蛙っぷりが甚だしかった。

 

性を超えて生。生を超えて性。

 

与えられた生殖機能を使うというのが人として正しい。などと定義されたらとても生きていけない。魂・心・肉体に矛盾無く生きる事に課題を与えられたら、早々に俗の幸せを諦めて心をまず殺さなくてはならない。そして肉体を呪わなくてはならないのだ。あるのは純粋な魂だけになる。

 

心と体のバランスの折り合いがつかない生殺し状態で魂だけ綺麗なまま生きるのは辛い。だから生きる為に沢山沢山沢山諦めなくてはならない。自分に正直に生きる、って強くならないと至極難しい。

性を通してその事を学ぶという体験。

性を通してのアイデンティティークライシス。

なんか性行為をしながら出家してるよなぁなんて思いながら。

 

BL漫画を読んだ感想というよりは同性愛について思うことになってしまった。

立て続けにBL漫画を読んだ人間の戯言です。

 

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2020.1.20 水 漢方認定試験 家電

漢方の認定試験が終わった。昨年の秋から漢方を学び始め最初はチンプンカンプンだった五行配当表も今では丸暗記し、五臓六腑の働きと繋がりも理解し、身体の症状でどの臓腑のサインなのか分かるようになった。試験当日はこれは肝ではありません!腎です!これはひっかけ問題!瘀血と思わせて血虚でしょう!騙されませんわよ!オホホホホホホホ!!!!と心の声で軽快にツッコミながらペンを走らせた。


分からない事が分かるようになるんだから勉強するって楽しいな〜なんて。学んだ者だけが見える新しい世界の見え方と尺度に心が躍る。元来腰が重い私だが本来学ぶ事は楽しい事なのだと身体は知っているようだ。


本能的や感覚に従って素直に生きるとは、結果、目的、合理性、利便性などといった現代社会の必須項目と相対するように思える。でも正しく生きようとすることが正しい、というわけでもないから生きるとは矛盾なのだ。


窓の外には夕暮れの空のグラデーションの上に都会のビルが黒く煌めく切り絵のように今日もそびえ立っている。薬膳茶を頂きながら一日を回想してみる。


試験も楽しかったし、試験勉強が一段落した後の絶品インドカレーも美味しかった。


私の好きなインドカレー屋さんには昼のランチメニューには無いけど、言えば夜メニューが出てきて夜メニューからオーダーも可能。私は生姜と蜂蜜のチキンカレーが大好き。初めて食べたのはまだ二十代だった気がするのだけど、変わらない味にコレっ!コレなのよっ!と味覚と思い出と食欲が合致した見事なバランスを噛み締めながら頬張った。


夢中になってカレーを食べていたら店主が近づいてきてラッシーを私のテーブルに置いた。頼んでません、と言いそうになったところで「サービス。」と私の目をみて言った。私は驚きと嬉しさがごっちゃになりながら「ありがとうございます。」と感謝の言葉を述べた。顔を覚えてくれたのだろうか。美味しくて嬉しい美味しい幸せな時間。


心身共に満たされた私は帰り道に洗濯機と炊飯器を物色するために新宿の家電量販店に立ち寄った。


我が家の洗濯機は結婚する以前から夫が使っていたSHARPのドラム式乾燥機能付きのもの。当時は最先端だった洗濯機も10年の時の経過で乾燥機能が衰えて完全に乾燥しない。

何度も夫に「買い替えたら?」と言われたが、「まだ洗えるから。」「私が干せばいいだけの話だから。」と断り続けてきた。私は高額なものを壊れていないのにすぐに買い換えない。物とはいえ一期一会。家電の買い替えは終わり方が大事という考え方はある種の哲学のように私の中で育って根付いている。


そして擬人化の達人の私は家電から「どうもありがとう。こんなに使い込んでくれて私は洗濯機の人生を満喫しました。もうお別れしても大丈夫です。」と通達されるまでひたすらに待った。


2021年冬。いよいよその声が聞こえた気がした。悲しみではないポジティブなお別れの提案。家電からお達しが来た頃には人間側の準備も整っている。もうそろそろ乾燥機能がついた洗濯機をお迎えしても良いのではないか!来る日も来る日も干し続けた私にはその資格が私にはあるのではないか!と満を辞しての洗濯機コーナーへの来店なのだった。


実を言うと一年前くらいにも同じ家電量販店の洗濯機コーナーに赴いた事がある。その頃には洗濯機側からの通達がまだ来ておらず、私は修行の身だった。洗っては干す。洗っては干す。自分にはまだ早い。そう思っていた。一年前の洗濯機コーナーは除菌推しではなかったけど昨今の時代の変化に伴い、除菌機能のナノイーやプラズマクラスターが推しに推されていた。値段も高いもので30万を少し超える一年前とそう変化してないように思えた。機能面も最新機能のバージョンアップは見られない。


そろそろ潮時だな。今だな。

洗剤自動で調整して入れてくれるのとアイロンしなくても熱風でまぁまぁどうにかなる以外の機能は出揃ったな。と、ワンポイントアドバイスをくれる店員さんの脇をすり抜けて冷蔵庫と食洗機と炊飯器を見に行く。


バーミキュラ。というライスクッカーが以前から気になっている。いつからかと言うと以前我が家で炊いた米が臭い事件が起こった時に夫に「炊飯器を買おう。」と提案された時から気になっている。でも直ぐには買わない。そう。私は家電側から通達が来ないと買わない。でも炊飯器もいよいよ最近は老人が頑張って炊いた米のようになってきた。かつての輝きがない米の仕上がりに夫に「米が不味い。」と言われる。そんなにチープな米は買っていないのに。きっと我が家の炊飯器はこちらが勇退させなくては頑張り続けるような気がする。我が家の炊飯器は「まだまだ…!」と炊き続ける関節が曲がらず白髪で耳が遠くなったちょっと頑固な老人みたいだ。それはそれでおばあちゃんの知恵袋みたいで好きなんだけど。


こちらもそろそろ潮時だな。今だな。

天皇だって退位をされる時代なのだ。新時代だ。勇退して良いよ。ごめん。長い間我が家の米をありがとう。ようやく炊飯器との別れを今日決めた。家電の声とか言って散々擬人化してきたけど自分の声が跳ね返って納得した。


これから細かい細かい精査をして私の審査に潜り抜けた可愛い子ちゃんを迎え入れる準備に入ろう。また10年共に走り抜ける家電は主婦にとっての心強いパートナー。家事は夫より家電に助けられる事が多々あったりする。事実食洗機とルンバを導入してからというもの私のQOLは確実に上がった。


追い風に乗ってバーミキュラについて調べていると炊き方にコツがあるとか無いとか硬くて不味いとか情報が錯綜している。やっぱり安定の象印かなー保温機能はやっぱり楽よね。と揺らぐ今日の私なのであった。


拝啓 新しい洗濯機と炊飯器様。

水面に派生する波紋が無くなり凪が訪れたその時にプロポーズする勢いでお迎えに上がります。

女王蜂というバンドについて

女王蜂はね

やってる事はバンドなんだけど

人々を呪縛から解き放つ

呪詛師軍団だと思う。


なんでそう思うの?って方。

Q →   十 →  聖戦

の順番で女王蜂聴いてみてね。

これを音楽でやるなんて…って

私は衝撃を受けました。

 

https://youtu.be/EOMRwB5hqug


人には自分の努力次第で

変えられる運命と

どうにもならない

持って生まれた宿命がある。


持って生まれたどうしようもないもの。

例えば、生まれた環境や性的趣向。

そういう「なんで私が…」と

思ってしまう類のものに対して

「全部は手に入らないよ。」と

歌っているのがアヴちゃんなんです。

 


「呪い」って人の願望や理想や

本音の部分かなって思います。

そういう

「実現できない葛藤や恨めしい人の想い」

(呪い)を

祓ってる呪詛師。

人々の呪いを浄化してる人。

それがアヴちゃん。


自分たちの表現で

制限をして普段生きてる人々に

「自分の可能性を殺しているのは

他人ではなく自分だよね。」って

説き伏せるのではなく気づきを与える。


自分自身が散々自分を呪って

そこから自分を解放して

色々諦める事はあるけど

それでも自分の人生を生きるって

こういう事だよね。って

気持ちの良い潔さがある。

 


アダルトチルドレンと違うのは

自分でどうにもならない宿命を

受け入れる為に諦めている点。


アダルトチルドレン

自分の生い立ちや持って生まれた環境に

くすぶる思いが残っていて

その火花を散らして炎を燃やして

怒りや悲しみに支配されてしまう。


まだ期待しているのかな、と思うんです。

まだ甘えたいのかな、と思うんです。

自立を拒否してるのかな、と思うんです。

本音はまだ甘えたいから。

 

 

例えば。

親から虐待を受けて

本来与えられるべき愛情が正しく

与えられなかった事による渇きがある場合。


本音は「愛されたかった」という

満たされなかった思いがある。


「愛されたかったのに

愛されなかったんだ!」と

呪うように生きていくのと

「生まれは選べない。

でも生まれてきてよかったと思える

瞬間もあるから。」と

前を向いて生きていこうとする

「差」は絶対にある。


その「差」ってなんだろうねって

歌ってるのがアヴちゃん。


センシティブだけど

前を向いて生きるための根本を

女王蜂は歌っているし表現しているから

感動するんだと思う。


理想と現実の狭間で揺れ惑い

それでも理想を見失わないのが

厨二病ならそれともちょっと違う。


生きていくための死活問題というか

生きる根本というか

避けられない事を

自分次第でどうにでもなるよね!

自分で自分をこの上ないくらい

まず愛してみよう。

自分で自分の人生を切り開こう。と

モラトリアムを超えて

自分で自分を鼓舞して

強く生きる手段が女王蜂。

 

 

清く楽しく美しく

何処か怪しく慎ましく

何より誰しも愛らしく。

 

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呪いを祓わないといけないのでアー写が強めです

 

 

有栖川記念公園

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「年収一千万?低いね。」

そんな事を言われかねない街広尾。

有栖川記念公園はセレブしかいない街の一角に佇む公園。薄着で走り回る子どもたち。飛び交う英語。インターナショナル感。総じて思うことは「ねぇ。みんな年収おいくら?」


お金がないと楽しめない街東京の虚構を感じながら丘に登り、お手製の弁当を食べる。


どれどれどんなもんだかみてやろうって、全身ユニクロでいざナショナル麻布へ。


商品名が英語ぉ!

ケールが売ってるぅ!

ザクロ!ぼんたん!

胡瓜が398?

お肉屋さんみたいなのあるぅ!

ベーコンとウィンナーの気合いが違うぅ!

チーズ売り場の規模!

お金がいくらあっても足りない!

ワインの品揃え!

外人さん多数!


レジに並ぶ長蛇の列に握りしめてた奥出雲のヨーグルトをそっと棚に戻しました。


ここが東京のトップの生活。

お金が湯水のように湧いて出てこないと

これを目指す生き方はしんどいね。


やっぱり私は東京への憧れや東京都在住というネームバリューより東京に踊らされて生きることへの反発心が強いようです。

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パラサイト 半地下家族

新年明けましたね。

寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょう。

 

昨日パラサイト〜半地下家族〜が地上波で放送され、私は映画館で2度観ましたが、書いていて止まらなくなったので映画パラサイトを通して感じた事などを。※きっと観てない人が観ても何のこっちゃ分からないネタバレをしますw


韓国の痛烈な格差社会を風刺した今作。

一度半地下で産まれたら一生半地下暮らし。良い学校も行けない良い生活もできないまともな仕事にもつけない。体に染みつく匂いや考え方全て格上の種族とは異なる。

それを「刺した」映画だと私は感じました。


半地下の人達は格上種族が「あの人たちはアレが普通。どうしようも分かり合えない。」と知っているところに悲しみと怒りがある。

恵まれている人には恵まれている苦労があるけど、半地下の人達と比べてしまうと「それが苦労とでも?」ってかんじ。


その絶対に共有できない「ボーダーライン」をめちゃくちゃ撮り方で表している。


・シーン毎で格上の立場の人が階段の上にいたり、地下にいたり、テーブルの下にいたり。

・格下の半地下家族が金持ち家族を騙す時「上」にいて、格上家族が騙される時は階段の「下」から上がってきたり。

・縦横の構図で間に線が、自然と引かれていたり。


別々の種族だという撮り方の徹底。めちゃくちゃ考えられていて無意味なコマ割りが一切ない。 

「マウント」に上下で翻弄され「ボーダーライン」で左右で翻弄される。

そのマウントとボーダーラインは観れる人にしか分からないようになっているけど、それが分からなくても物語として成立させるストーリーの面白さ。


映画館で見終わって、感想を述べ合っている人の会話で「コメディだよ。」という声が聞こえてきたのですが、なんでしょう。すごい質の良いコメディーだと思います。

私はバラエティーTVショーで「ネタ」を繰り広げるお笑いは面白いと感じる事が少ないのですが、この映画はめちゃくちゃ面白かったです。「面白い!面白い!」とスクリーンに釘付けになりました。


洪水のシーンは上から下に水が流れる、というのは重量が存在する限り絶対の「不可抵抗」を「重量」で表すってこの監督すごいわ…と思ったし、トイレが逆噴射してる時のあの長女の喫煙シーンはそういう「不条理」に対して無言で煙草を吸うという「無言のファック」を「煙草」で表すの最高すぎでしょってかんじで。映画史に残る名シーンと多くの人があのシーンに感じたと思うけど、格上の人達は煙草なんて吸わないしあんな生活があるということも知らない。「知らない。」んですよね。


ハゲのおじちゃんが地下から電球でモールス信号送ってるに気がつかない格上種族も「気づかない(知らない)」のが本当のリアルだし。嘘のような現実の中にリアルしかないんです。大袈裟にならないように「普通に」表現するっていうのが素晴らしかった。


あと日本映画は画角、スクリーン全部で伝えきれていないなと思いました。「動いてる役者」にしか重きが置かれていない。韓国映画はこんなにスクリーン全部で伝えてくるのか、とここでも「差」を感じてしまいました。


あの串刺しになっていた肉は動物の家畜の肉なわけだけど、半地下の人の肉も命の尊厳的には社会的にみると家畜の肉程度で本来あの串に刺さるべきは半地下側の人間で金持ちイケメンパパではない。あのシーンは社会的家畜の反乱であり、上流階級への皮肉なのではないかと思ったり。


上から下に行くのは簡単。

上中下。確実に存在するカースト。 

理想論の通じない社会。

半地下にしてみれば上が堕ちたって半地下。

でも自分が上にいる時ってそれが幸せな事だとは気がつかない。「知らない。」んですよね。堕ちてみないと人間は理解できない。


半地下パパが体育館で「プランは変わるから初めからプランを持たない。それがプランだ。」みたいな事を言ったんですけど、自分の意思で「持たない」のではなく「持てない。」んですよね。それは結構あの石のようにずっしりと重たいシーンでした。


あの洪水のように成るように上から下へ左から右へ流されて生きていくしかない。夢も持てない。現実を変える計画も持ち合わせていない。何のために生きるのかという問いも持たない。でもだからこそ強くいられる。生命力とは本当はこういうことなんじゃない?なんて思ったりして。


観るシーン全部に意味があるのではないかと思考が巡るし、実際考えられているから無駄がなく自然に撮られていることに感動。


映画という表現を通して人々に気付きを与える芸術。これが世界的に認められて評価されたということは多くの人に何かを感じさせたということの証明で意義が深い。素晴らしいものを素晴らしいと思える人間の感性は世界共通ということに賞レースに初めて意義を観た。

 


私のこの映画の学びは

豊かな人は「豊かなのに無知」

なのだということ。

貧しい人は貧しいのに

「知っている」ということ。


この差は本当は大きい。学歴社会だから格上の人達は学んでいる。毎日勉強を頑張っている。でも本当の意味で「何を知っているの?」そんな事を思ってしまいました。


色々「思ってしまった…」なぁ。


あとこの映画は字幕で観るべき。韓国映画の独特の雰囲気のある感じが日本語じゃ伝わらないし家政婦のおばちゃんの北朝鮮語は日本語じゃ面白さが伝わらない。


これから観る方は字幕がオススメです。

 

私は歌舞伎町で観たのですが、その帰り道の靖国通り明治通りは考えさせられてしまいました。見えないボーダーラインとマウントに溢れている東京で息している次第です。

 

 

根拠が星ですみません。

農業革命、産業革命と同様の時代の過渡期2020。後々歴史の教科書には何と書かれるのだろう。


2年前からヨガと占星術を学び、今年は漢方と薬膳(東洋医学)を学び。よく人からは「あこちゃん、何を目指してるの?」と言われるけど知的好奇心の赴くまま生きているだけですw

 

東洋医学をガチで学ぶまでは占星術を学んだのに「根拠が星。」って。「根拠が星ぃぃwww!?!?」と占いに対して「根拠が星ってふざけてます?エビデンス出してくれます?」と占いながらも思ってました。が。

 

自然にはサイクルがあり、占いの世界もそれを「土の時代」とか「風の時代」とか呼んでるだけなんですよね。私たちが「春を春」と呼んで、「夏を夏」と呼ぶのと同じこと。

 

実際桜が咲いて春が来たなぁと感じたり、ガンガンの日差しで夏を感じたり、乾燥してくる大気に秋を感じたり。実際に自分の五感で感じ体験しないと人は信じる事ができないように作られているのだと思います。

 

その季節と同様に時代にも季節のような起承転結があると考えるのが占星術です。

 

今回は12/22から風の時代が始まり。
「風の時代www」ってちょっとバカにしたくなるけど。人間だけのご都合主義の価値観は終焉を迎えて【精神性の時代】にガチで突入。

【火の時代】は戦国時代。争い白黒ハッキリ優劣をつけた。
【土の時代】は争った後の世界。人や領土を制度の下で発展させた。

これ以上発展させる事ができなくなって物や人、価値観が溢れて「もうこれ以上物質はいらないよ〜」って時に満を辞しての【風の時代】全部一回ぶっ壊す!!って567がやってきてソーシャルディスタンス文化の到来。


「お金より信用が大事だ。」というのは数年前から囁かれていましたし、「良いコミュニティーに属するべきだ。」というのも良く聞く話。

 

今思えば、女性でも4大学卒業するのが当たり前になったりしている昨今の学歴事情は【知の時代】に対応するためのものだったのかも。ここでいう知性というのは知恵ではなく智慧の事ですが!

 

今後20年は水瓶座の時代なので、個性、個、フリーランス、友愛、横の繋がり、専門性、知性、自由、革命、ネットワーク、IT、フットワーク、出会い、情報。
そこら辺が一気に一新されたり重要視すれたりスタンダードになっていくと言われています。婚姻届も判子無しで受理されるように進めようとしているニュースでみたし、結婚の形も事実婚別居婚など形を変えてきていますね。本当そのまんま。SNSなんて「この時に備えてSNSは発達したの?」と思うくらいです。

 

ホロスコープを使って色々今後世界がどうなっていくのか目安を立てたりもできます。

 

2020年12月22日 水瓶座 【風】
今後20年は水瓶座時代だからきっと戦争は起こらない気がする。だって知性の水瓶座よ?戦争とかする?とか。根拠は星ですがwww

 

2040年10月31日 天秤座 【風】
ここに来ると更にブランディングされた本物の人たちが頭角を表していき、ビジネスではなく「センス」がビジネスとなっていくのだろう。ビジネスって言葉は死後になるかも。根拠は星ですがwww

 

はぁ。楽しい。根拠が星なんてお恥ずかしい妄想に貴重なエネルギーを費やし読んで頂きありがとうございました。
楽しい年末を皆さまお過ごしくださいませ。
メリクリハッピーニューイヤー2020-2021

bar diversion

その日、高野洋子が朝一番にした事は夫が自慰をした後のティッシュを片付ける事だった。こんなに朝なのに。世界は明るいのに。夫の真司とセックスレスになってもう3年半の月日が経とうとしていた。洋子はベッドで眠るが、真司はソファーで眠る事が増えた。仕事のストレスなのか一日の最後に真司は晩酌をし、そのままソファーで寝てしまうのだ。二人に子どもはいない。だからと言ってセックスレスが離婚の要因にはならず、夫婦は日々を営んできた。新しくて大きなアクションを起こす気にはなれないし、夫のことを愛していた。それでも男女として終わってしまったのか、という悲しさは絶えず洋子を苦しめた。

仕事を終えた洋子を夜の帳が包んだ時、洋子はそのまま家に帰りたくなかった。今日はなんだかやるせない。真司は今日会食で帰りが遅いし何処か気晴らしのできる場所に身を寄せたかった。また明日が来ることは分かってる。だから切り替えよう。自分をリセットしよう。そう思いながら、洋子には行きつけのバーに吸い寄せられるかのように向かい始めた。

目的地の決まった安心感にほっと胸を撫で下ろしながら、冷え始めた東京の乾いた風を吸い込んだ。いつだってそうだ。旅行も辿り着いた目的地よりも目的地に辿り着くまでの移動の時間が好き。何も考えなくても目的地まで連れて行ってくれるから。目的に向かうまでの過程でいつも沢山の人とすれ違う中、皆目的地を持って移動していることに不思議な感覚に陥ることがある。

仕事先帰る家食事に行く店本屋学校映画館イベント病院繁華街公園美容室ジム習い事。この世界は目的地に溢れているし誰もが付加価値を求めている。

でも目的が分からなくなった時はどうしたらいいんだろう。自分の孤独をパンにジャムをつけるように人に擦りつけることはできない。みんな抱えきれない孤独を持て余した時どうしているんだろう。そんなことを考えながらbar diversionの入っているビルまで辿り着いた。階段を登る。胸が高鳴る。

 

黒くて重厚な扉。この向こう側にいる時だけは絶対に大丈夫。

ドアを開けると、溶けていくようにbar diversionでの自分を演じ始めるのだった。



1

 

重たいドアを開けると薄暗い照明が顔を隠してくれる。ここではのっぺらぼうになれる。歌詞のない心地の良いジャズミュージックは思考を止めて心を軽やかにしてくれる。靴の裏は柔らかな絨毯を踏み靴音は消えた。暗闇の中で目に映るのは照明にライトアップされた赤いお店のショップカードだけ。重いドアが閉じると雑踏は遮断され、日常から非日常にトリップが完了する。

「いらっしゃいませ。」

マスターがカウンターの中からこちらをみて微笑んでいる。おかえりなさい、と言われたようだった。「こんばんわ。」と洋子は笑いながら挨拶を返した。

洋子はカウンターに向かい、腰を下ろした。いつも窓側の席。マスターと一番近い席。カウンターには熟成された生ハムが置かれ、カウンターの奥には百は優に超えるであろうお酒が整然と陳列している。目がこの空間に慣れてくると注文するお酒を選ぶために視線をメニュー表に落とす。その側でカチャカチャとマスターがチャームをつくる音がする。頭が回らないからとりあえずジン・トニック飲みながらまた考えよう。ここのジンは美味しいんだ。

洋子はメニュー表を閉じ、頭の電源をオフにして生ハムを眺めた。そもそもこの肉は塩漬けして時間を置かなければ腐っている。でも状態を変えてここに存在している。この肉は生ハムとしてこの店に運ばれてさぞ幸せだろう。私も夫と塩漬けしたように生きている。元々違う素材の2人が塩漬けされて腐らず形を変えて共存している。他人からみればきっとそれは幸せそのもの。私の抱えている悩みなどただの贅沢な悩みだ。

 

「幸せという漢字の語源は手錠をかけられた人間の姿。制限のある中で自由と有り難さを感じられる感謝のある生き方が幸せな生き方なんだよ。」

昔祖母に言われた言葉が右から左へと走馬灯のように流れ込んできた。洋子はじっと生ハムに見入った。塩漬けされて腐らずに価値を提供し続ける肉。熟成し旨みが増し良い状態の肉。塩気の角が取れ丸くなり美味しくなった肉。

生ハムの向こうからマスターが帰ってくる。視線がぶつかって洋子は笑いながら踵を返した。

「どうぞ」と目の前にお洒落な酒の肴が運ばれてきた。「なんかすごいお洒落なんですけど。」洋子は尋ねた。

「今日はイチジクとブルーチーズ。こちらは鯖のオリーブオイル漬け。あとオリーブはこちらからのサービスです。」マスターは微笑み洋子は感謝を述べた。

「お酒どうされます?」洋子に注文を尋ねるマスターの声はいつも涙が角がなくて優しい。「なんか、この生ハムみてたら生ハム食べたくなっちゃって。一枚頂いてもいいですか?あと生ハムに合うような赤ワインを使ったカクテルって何かありますか?」洋子の中からジン・トニックは消えていた。

 

「マスター。マスターは大人になるってどういう事だと思います?」

三杯目のワインを飲みながら洋子は言った。

きょとんとしたマスターの顔を見ずに洋子は何処か空を見ながら話を続ける。

「私ね、思うんです。大人になるっていうのは虚しさや小さな絶望を重ねてそれでも生きてる事だって。だから大人は敬わなければならない。そんなの分からなかったですけど。今はそう思うんです。」

一切の迷いなく洋子はマスターの目をみて続けた。

「だから私にはここが必要。だって私は大人だから。バーは大人が大人であるために必要な場所。子どもは入れない大人の特権って感じが最高。だから大人はバーに行くと思うの。ここに来ると私大人になって良かった、ってささやかな幸せを感じる事ができるの。マスターありがとう。」洋子は噛み締めるように言った。

 

「ありがとうございます。僕もそう思います。ここの店名ディパーションっていうのは息抜きって意味なんです。息抜くことは生き抜く事、かなって。」マスターの丸山はワイングラスを磨きながら答えた。

 

「ほんとうに。息抜きが上手な人は生きるの上手だなぁって思うわ。そうよ。息抜く事に罪悪感なんて持たなくていいわよね。ほら意識高いとか低いとかあるじゃない。意識高く生きないと自分の生きてる時間の使い方は勿体ないのかなって何処かで比較してしまう自分がいて罪悪感を感じる時があるの。現実逃避のような気がちゃって。でもそういう時があるから頑張れるし、生きてるって時点で頑張ってる。だからこそ偉いなって褒めてあげなくちゃね。」洋子はほとんど息継ぎをせず喋って微笑んだ。追加で注文したガーリックトーストのサクッという音が鳴る。

 

店主の丸山は応えた。「生きてるだけで凄いって本当そうだと思いますよ。なんて言うか…夢とか目標ってその時の自分の状態で全然違うというか。自分に自信がなくて生きるために自分を保護するために夢や目標が存在してしまう時だってあるし。夢や目標があるから凄いってわけでもないですよね。生きてるだけで凄い、って何のプロテクトもなく堂々とされてしまうと逆にコイツすげー、って思いますもん。」

 

急に洋子は驚いた顔で言った。

「私ここに来るまでにみんな持て余している孤独をどうしてるのかなって考えてたんです。だってみんな孤独な筈でしょう?なのに平然とした顔をして生きてる。みんな魔法瓶の中に普段は孤独を閉まってるけど、こうやって話すと出てくるんですね。そっか…だからコミュニケーションって大切なんですね。」

 

そう言うと洋子は自分で言って自分で納得した様子でお会計をし、「マスター、今日私来て本当に良かった!自分のやるべき事が見えた気がする!」と三杯目の最後の一口のワインを飲んで急足で帰っていった。

 

現実を生きているリアルな人の余韻が丸山の中に少し残った。それも半刻待たずにすぐ消えた。