unplugged

アンプラグド[unplugged]: 生楽器だけで演奏すること

ハタヨガは陰陽で引っ張り合うこと

ハタヨガは陰陽で引っ張り合うこと。

この事を忘れて娑婆に出た時、痛い目に合う。


ハタヨガは陰陽で引っ張り合うこと。
この世界は陰陽、男女、右左、空大地、無と有、ポジティブとネガティブ。

ありとあらゆるものが2つある。


有るということは無いを証明するし、無いという事は有る事を証明する。


引っ張り合う事でしか真ん中は分からない。
しかも真ん中はツルツルしてて、なかなかバランスを保つのが難しい。

でも自分の中でバランスが取れている中庸の状態は自然と心地良いもの。

だからなるべくその状態で在りたい。


ハタヨガの
「ハ」は「太陽・吸う息・凝縮」
「タ」は「月・吐く息・拡大」


ハとタで、引っ張り合う。

 

★氣、が強くなると、自分の考えに執着心が湧いてきたりする。
だから自分の考えが正しいぞ!って思う時って氣が強くなっているってことだから、陽ばっかり大事にしてないで陰も見ようねって気がついてまたバランスを取りに行く。

アーサナで言うと前姿だけじゃなくて、後ろ姿もみる。鏡のない部屋で体の感覚を頼りにみる。全体を俯瞰する。ハタで引っ張り合う。

★反対に氣が弱くなる時は自分に自信が持てなくなっている時。

★氣が強いとか弱いをグラグラ繰り返してる時は、土台が不安定。

 

私はヨギーというのは氣、つまりエネルギーを自在に操れる人のことだと思ってて、氣が強いとか弱いではなく氣が在るということに意識を向けて調和を図る人やその状態、だと思っている。つまりはエネルギーマスター。

 

今日はあんまり集中できてないなーと気がついて今日はそんな自分と対話してみる。今日は教わったことを実践できてると気がついて今日はそんな自分と対話してみる。そんなことの繰り返しが結果でなく過程を大事にするということに繋がり自己受容になる。


力を抜けば抜くほど土台は安定する事を体で感じる時、体から自分へのメッセージを受信できたのようで力を抜く大切さを感じる。自分の体って自分のものじゃなくて本当に借り物だと思う。ヨガのレッスンを終えると、チューニングが完了したような気持ちになる。この高揚感はただの自己満足なのかもしれないんだけど。
 


で。
「ハタヨガは陰陽で引っ張り合うこと!ヨガマットを降りた後も健やかな状態が続きますように!」って一礼しても。忘れて俗世で生きてるんだな。


陰陽で引っ張り合えば大体ピタゴラスの定理のようにいい塩梅になるといいのに、ヨガマット降りると忘れて、頭でっかちになったり相手の立場になって考えてることを忘れたりする。


ただ自分の感情で、ただの反応で。

 


マインドフルネスの観点から言うと、相手の立場になって考える事もマインドフルネス、ヨガ、と言えるのだそう。


でもそれをし過ぎて自分が居心地が悪いとやっぱりそれってストレスなのです。


本当は惜しみなく与えて与えて与えて与えて、与えられる人間で在りたいけど、やっぱり自分が枯渇していくと人に与えられないっていうのが本当のところ。お坊さんなんかが悩める人の話を聞くことができるのってやっぱり修行してるからだと思う。常にバランスをとってるんだと思う。慈愛ってすごい。


どうやったら見返りなく人に与える事ができるかと考えたらやっぱり自分の中でバランスを絶え間なく取り続けるしかない。


魚のように何も考えない時間や湧き上がる思考をアウトプットする時間。

自分が在る事も無い事も両方必要。

 


本当の意味のヨガの実践って、マットの外。
マットの上も勿論ヨガを実践してるけど、それはアーサナであって、アーサナ(ヨガのポーズの事)は瞑想が出来る体にする事。瞑想できる体じゃないと瞑想はできない。その体で瞑想をして、、、考え過ぎな頭を本来の状態に戻してあげる。そして本来の自分に戻していく。

 


生き方の理想論を語ったり、批評するのは簡単な事。
自分で実践して、自分の言葉で語れる人で在りたい。


青臭くていいから過程を大切にして、常に陰陽を引っ張りあって自分で自分のご機嫌とバランスをとり続けて、自分と他人とのバランスを取り続ける。

 

ヨガを実践し始めた時は出来ない事が悔しかった。

それは結果主義に傾いていたから。

今は出来る事と出来ないことがあったとしても、出来ないことがなんなんだと思う。何の問題もないんです。問題ないのに自分の中の概念が問題にするだけなのです。

ひたすら「今」ひたすら「過程」ひたすら「陰陽」

そしてツルツルした真ん中と一瞬同化して、また通り過ぎていく。

 

人は大事な事は繰り返すように出来ている。

呼吸をする事。お風呂や洗顔は歯磨きで体を清潔に保つ事、仕事をして働くのは傍(はた)を楽(らく)にすること。夢を持って生きるのが大切なのは生きてる事自体が夢だから。食べることは生きること。排泄だってしないと滞るから循環しないといけない。食べた物を洗って洗濯もしてまた戻す。その循環に心地良さを感じる時、またツルツルした真ん中と一瞬同化して、通り過ぎていく。

 

美は細に宿る。

ボジでもなくネガでもなく、粛々、淡々と。

人は大事な事は繰り返すように出来ているから。

それが過程を大切にするということ。

いまを生きるということ。

 

「呼吸をすること以外に大事なことなんてありません」

 「呼吸をすることが生きているということなの?」

両方持っている。そして、引っ張り合えば良い。

 

きっとまた真ん中が一瞬同化する時が来る、はず。